城山公園で城攻め体験!
新居城跡の特徴
城山公園内には、室町時代の城址があり本丸跡や土塁が残っている。
名鉄瀬戸線の尾張旭駅から 徒歩約10分でアクセスが可能です。
近くには模擬天守の旭城があり、展望台とレストランを楽しめます。
名鉄瀬戸線の尾張旭駅から徒歩10分で行けます。城山一帯は野球場や展望塔などの施設を有する大きな公園になっています。山頂付近に巨大な土塁が残っており、ここが城であってことがわかります。旭城と名付けられた模擬天守閣が公園入口に建っており、旭市が観光資源として押していることが伝わります。桜の季節には桜まつりが開催され多くに人が訪れます。
道側に有る天守閣旭城は、模造天守なので、新居城には関係有りません。元々新居城には天守閣は無かったようです。土塁や本丸跡と思われる物があったと思ったのですが、看板の地図を見ると、当時の土塁とは少し形がちがうようです。遺構はあまり残って無いと思われます。
室町時代の城址らしいです。水野良春の子孫、水野宗国築城とあります。当時の国主は斯波氏で、案内板には関係性は書かれておらず不明ですが、戦国期まえの混迷の時代に土着した一族の居城でこの地を治めていたのでしょう。模擬天守の旭城の北側の丘一帯が城址で、散策のしやすい公園になってました。本丸付近に半月状の土塁が残っており、弓道場のうえの歩道に案内板があるのみです。既に史跡的な匂いの薄い城址ですが公園として綺麗に遺されているので、尾張旭の史跡としても詳しい案内があるといいですね。
信号を曲がってすぐ右に無料駐車場25台位ありますすぐ横に模擬天守の旭城がありますが架空の天守でレストランと展望台になってますそもそも室町時代1300年代の城跡なので天守は無かったでしょう本当の新居城はそのすぐ上ですこれと言った遺構はありませんが土塁で囲まれた本丸と下の曲輪を上手に公園と遊歩道にしています20分程度の軽い城攻め気分で訪れましょう。
土塁を歩けるようになってます!切り通しも何となく分かります!もう少し整備しようと思えば出来そうですが、立地の広さ的にこれが限界ですかね。
完全に公園化されていて、あまり遺構という感じはありません。多少、土塁っぽいものが残っているくらい。でも、遺構なのか、造成なのかはよく分からない具合です。城山公園という名前のところはだいたいこんな感じ。道路沿いに『旭城』という建物が建っていますが、なぜ、『新居城』という名前にしなかったのか…
本丸跡に土塁が残っています。北側のスカイワードへ行く途中の橋の東側に空堀がありますが、柵がしてあって入れません。
都市公園です。模擬天守以外に、土塁跡などがわかりますが、現代になって改変された地形との判別はつきづらい。
現在の城山公園には、室町時代に築城された新居城がありました。新居城は、旧新居村の開拓の祖である水野又太郎良春の子孫、水野雅楽頭宗国が築いたものだと伝えられています。宗国は、大森城主尾関氏と戦をし、大森村と新居村を含む25か村を支配したと伝えられています。応仁の乱の頃、1467年に砂川合戦という矢田川の水利権争いが起こる。この合戦で、大森城の尾関軍は、自ら軍を率いて水野宗国居城の新居城を落とすため、八瀬ノ木(現:尾張旭市城前町八瀬ノ木西)に陣をはり攻める。しかし城を落とせず退却。すると翌日に今度は新居城主の水野宗国に攻められて大森城は焼失し、落城した。尾関軍は鍋屋上野城まで退却。その後、大森地域一帯は水野氏の支配が織田家が優勢になるまで続いた。新居城は、室町時代の城跡であり、石垣や天守閣のある城ではありませんが、土塁と堀が見つかっており、その一部が保存されています。土塁の跡は、今も城山公園の中(弓道場の東あたり)で見ることができます。また、平成28年に行われた調査では、新居城の堀は、深さ約5m、幅約8mほどあったことが分かりました。これは、市内のお城では最大級のものです。
名前 |
新居城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.owariasahi.lg.jp/kurasi/kyouiku/bunka/bunkazai/shiseki/araijoato.html |
評価 |
2.9 |
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城山公園の中にある城趾で、本丸跡・土塁などが残っています。模擬天守(旭城)の北側の丘一帯が城趾になります。模擬天守(旭城)は、新居城とは全く関係が無い建物です。