古社の趣、岩崎神社へ急な道を!
伊波比神社の特徴
延喜式内の神社として歴史が感じられる場所です。
落ち着いた雰囲気で静かな境内が魅力的です。
さびれた印象の中に独特の風情が漂っています。
横見郡の式内社3座は、直線距離で1.5km以内の近距離に鎮座しています。横見郡は横渟屯倉(よこぬのみやけ)の推定地。横見郡の式内社3座の一つ、横見神社からは西北西に500mも離れていない。式内社(小)、旧社格は村社。資料によると、伊波比神社(いわいじんじゃ)は、和銅年間(708-715)に創建。嘉祥2年(849)に従五位下に叙せられ、貞観元年(859)に盤井神として官社に列格した、平安時代の延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている社です。出雲伊波比神社(毛呂山町出雲伊波比神社・寄居町出雲伊波比神社)との関連で、武蔵国造の遠祖を斎い祀る出雲系の神が主祭神ではなかったかといいますが、源範頼の子孫吉見氏の崇敬により八幡神を併せ祀り岩井八幡と称していたのではないかと推測されています。江戸期には岩井神社、岩井八幡と称して黒岩村の鎮守社として崇敬され、明治40年字立石に鎮座していた岩崎大明神社を合祀しています。吉見丘陵の東端部、旧荒川筋沿いに鎮座するのが当社である。付近には、茶臼山古墳や古墳時代後期の黒岩横穴群があり、現在500基以上も確認されている一大古墳群の地である。また大化前代、屯倉が置かれるほどの要地であった。安閑天皇元年(534)紀に、武蔵国の国造・笠原直使主と一族とが国造をめぐり争った結果、朝廷が使主を国造とする裁断を下したことに感謝して、屯倉を奉ったとある。その時に置かれた「横渟屯倉」が吉見町に比定されている。これらのことから、大化前代以来の有力豪族が強大な支配権を有していたのは明らかである。平安時代においても、朝廷からの班幣の対象社として重んじられ、地方の有力社と認められていたことがわかる。とあります。御祭神は、建速須佐之男命、櫛稲田比賣命。
この神社も延喜式内の古社で、横見郡三社の一社です。由来は書いてありませんが、延喜式内とだけ表示があります。社殿の右側には、岩崎神社の石祠があります。
急な場所にあるので階段を上がる時は注意だね。
東向きの山の斜面に鎮座小さいが非常に古い神社とのこと新編武蔵風土記稿の黒岩村の項では岩井神社とあり村の鎮守とされていた道沿いから入る参道から鳥居をくぐって進むとかなり急な道を進んだ先に拝殿がある拝殿右奥には岩崎神社と言う境内社がある岩崎神社も村の鎮守と書かれているが祭神は不明な様だ木々に囲まれ趣がある。
延喜式内の神社です。
今はさびれていますが延喜式内社です。
⊂(・ε・`)ノシ.:∴
| 名前 |
伊波比神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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式内社です。赤い鳥居が周りの景色に溶け込んで、見惚れてしまいます。