真壁小学校の奉安殿、歴史を感じる。
奉安殿の特徴
真壁小学校から受け継がれた奉安殿の存在感が際立っています。
貴重な歴史的建造物として、訪れる価値が十分にあります。
地元のパーマ屋さんが運び入れた storiedな背景が魅力です。
元は真壁小学校にあった奉安殿昔は各地の学校に奉安殿はありましたが、今となっては、まず目にしない、貴重な歴史的建造物です大戦後、真壁小学校の奉安殿が廃棄されようとした時、ここのパーマ屋さんの数代前の当主が志ある方だった為、「廃棄は忍びない」と考え、ソリに乗せて運び入れたと聞いています。
「真壁に地下鉄が通っていたの?」普通の住宅街の脇にポツンと立っている重厚なコンクリート造りの建造物。明らかに周囲からは浮いています。大きさは一坪ぐらい。石段の基礎があって高さは人が立って入れそうなサイズ感。地下鉄の入口か、公衆電話ボックス、若しくは最近流行りのテレワークBOXでしょうか…。しかし、それにしてはあまりにも立派過ぎるますね。中を覗くと、そこには神棚と教育勅語と明治大正昭和と帝国時代の歴代天皇の御成婚写真が飾られていました。どうやら、これは戦前戦中に各学校に建てられた奉安殿と呼ばれる、教育勅語を納めるもののようです。教育「勅語」と言うだけあって、各学校においては命よりも大事なものらしく(実際、これを紛失した校長が自死した事もあったそう)、学校では厳重に管理するとともに、毎朝拝殿していたそうです。多くの学校は教育勅語と天皇御真影を校長室の神棚に飾ったり金庫に閉まっていたのですが、火災や盗難防止、または「愛国頑張ってるぜアピール」のためか、外部に独立した建物を建築してそこに格納するケースもありました。その多くの外部ストレージ(?)は、神社の祠のような和風の作りが大半だったそうです。ところがこれは、四隅に壮大なギリシャ神殿のような太い柱と、塔頂部の彫刻、そして入口の上部に輝く菊の御紋。これ、相当の気合が入ってますよ。当時の腕っこきの職人さん手掛けたに違いありません。解説版を読むと、これは真壁小学校に設置されていたものであり、戦後にGHQから撤去指令が出たものの、立派な建物であり惜しんだ地元の方が疎開させたそうです。このような奉安殿、全国にそれなりにあるそうなのですが、体系的な調査やマニア(?)による実地訪問記録など殆どないそうで、まさに「忘れられた史跡」と言えるでしょう。そんな中、ここは凝った意匠といい、市中堂々と解説看板付きで残置してあるなんて全国でも滅多にない、奉安殿の代表格と言えるでしょう。なにせwikipediaで「奉安殿」を調べると、トップにここの写真が掲載されているぐらいですから。
真壁の街歩きで旧真壁駅に向かう途中に、「これは何だろう?」と友人と頭をひねる。案内地図には「奉安殿」と載っている。興味本位に2メートルを越える建物の中を覗くと、教育勅語の文字が見えた。とりあえず、写真を数枚撮影。帰宅してから調べたら、真壁小学校にあったものだとわかった。戦前・戦中の遺物で戦後生まれの我々には目にすることのないもの。一体、なぜこんなところにあるのかは不明。明治・大正の建造物が多く残る町ならではのもの。
名前 |
奉安殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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周囲の雰囲気から浮いています。この建物は、敗戦まで、天皇・皇后の写真(御真影)と教育勅語謄本を納めていたものです。真壁のこれが何時建てられたのかは知りませんが、日中戦争に突き進む昭和10年頃、奉安殿が全国各地の小学校に盛んに造られたようです。