歴史が息づく眼鏡橋。
眼鏡橋の特徴
市の中心部に位置する静かできれいな公園、散歩に最適です。
江戸時代の幕末時期に建造された堅牢な石橋は一見の価値あり。
桜やツツジが咲く季節感豊かな景色を楽しめる場所です。
長崎県諫早市にある眼鏡橋。石造りのアーチ橋で、水面に映る姿が眼鏡のように見えることからその名が付けられた歴史ある橋です。周囲は公園として整備されており、緑に囲まれた落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと景色を楽しむことができます。橋の美しいカーブと水面の反射が印象的で、時間帯によって表情が変わるのも魅力です。ドローンで上空から見ると、橋の形状や池とのバランス、周囲の配置がよく分かり、より立体的に景観を楽しめます。地上では気づきにくい全体の構造や美しさを感じることができました。歴史ある景観を楽しみたい方や、写真撮影が好きな方にもおすすめのスポットです。
歴史公園100選にも選ばれてる諫早公園。二段アーチの石橋が水面に映ってメガネのように見えます。大きなサーチライトがあるので夜のライトアップ期待して20時ごろに再訪しましたが真っ暗でした。公園内は結構広く、運動がてら散策にはちょうどいいかも。すぐ向かいには諫早美術・歴史館があります。(観光目的であれば何もなさすぎて行くのはおすすめしません。)
宿泊先から近かったので、諫早の眼鏡橋へ行ってみました。現在の場所に移設されたものとはいえ、実際に見るとしっかりとした造りで歴史を感じます。静かで落ち着いた雰囲気の中、ゆっくり散策できました。整備も行き届いていて、とても居心地の良い公園です。立ち寄って本当に良かったと思える場所でした。
諫早にある眼鏡橋JR諫早駅より徒歩20分、島原鉄道本諫早駅より徒歩10分長崎市にもありますが、そちらよりは大きいです。実際に渡ることもできます。本名川沿いにあり、一見の価値ありです。晴れた日に正面から橋を見ると眼鏡を見ることができます。眼鏡橋の横から山を上がっていくと、諫早市を一望できる展望台やとても大きいクスノキを見ることもできます。
🐾にゃんこ橋のうまれにゃ- 天保10年(1839年)、にゃんこ川(本明川)にかけられたのが「眼鏡にゃん橋」だにゃ。- この川は「暴れにゃん川」って呼ばれるくらい、よくあばれてたにゃ。お江戸からのお役人に飛び石を渡らせるのは、ちょっと恥ずかしいにゃ〜ってことで、立派なにゃんこ橋をつくることになったにゃ。🧱にゃんこ石工のわざ- 長さ49.25m、高さ7m、幅5.5m、石はにゃんと2800個以上!にゃんともすごいアーチ橋にゃ。- 長崎の眼鏡橋をお手本にして、にゃんこたちの募金とお坊にゃんの托鉢でお金を集めたにゃ。にゃんこパワーの結晶にゃ!🌊にゃんこ橋のピンチと復活- 昭和32年の大水害で、にゃんこ橋の欄干がこわれちゃったにゃ。でも、にゃんこ市民と市長にゃんのがんばりで、壊されずにすんだにゃ!- 昭和33年には、にゃんこ橋として日本で初めての重要文化財にゃん!そのあと諫早公園におひっこしして、今も元気にゃん♪🌸にゃんこ橋のいま- 今は諫早公園の池にうつって、春は桜、秋は紅葉、にゃんこたちのデートスポットにゃ。- 文学にも登場して、にゃんこ作家・野呂邦暢にゃんの作品にも出てくるにゃんよ。
移築のようです。どおりでとても美しい。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈諫早公園にある国指定重要文化財の石橋。天保10年(1839年)に本明川に架けられたもので、二連の石造アーチが水面に映る姿はまさに「眼鏡橋」と呼ぶにふさわしい美しさでした。長崎市の眼鏡橋と比べられることもありますが、諫早の方が規模も大きく、迫力があります。橋の上は階段状になっていて、実際に渡ると石造りの重厚さを間近に感じられました。
こちらが本物と地元の方が言ってました車道から写真をパチリゆっくりお散歩したかったです〜
市の中心部にありながら、静かできれいな公園だった。橋自体もかなり立派で、長崎市内の同名の橋よりもいい感じに見えた。小さいながらも無料駐車場もあり、ちょっと散策するのにも良いと思う。
雨の日だったので写真だけ撮りました。斜め道向かいに10台位は停めれる公園の駐車場があります。(2024年7月Googleマップではまだ表示されてません)
| 名前 |
眼鏡橋 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0957-22-2647 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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長崎県諫早市高城町の諫早公園内の眼鏡橋(めがねばし)へ行って来ました♪この眼鏡橋は諫早公園内の池に架かる石造二連アーチ橋で、想像以上に素晴らしかったですね!この眼鏡橋は、石橋としては日本で初めて国の重要文化財に指定されたようです。橋の長さは49.25 m(長崎の眼鏡橋の約2倍)、高さ7 m、幅5.5 m、架橋に用いられた石の数は約2,800個で、大型の橋であったため切り石の組み方に苦心したようで、当時の総工費は約3500貫文だったようです。この眼鏡橋は1839年(天保10年)に佐賀藩重臣の諫早家により、実は現在地から約500メートル離れた本明川に架けられたようです。当時「水害でも流されない頑丈な橋」を目指し、長崎の眼鏡橋を参考に架けたようです。そのため洪水に弱い諫早でありながら、眼鏡橋は一度も流されることはなかったようです。特に1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人以上の犠牲者が出るほどでしたが、眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったようです。しかしながら、眼鏡橋がせき止めた流木や、がれきが水の流れを変え、被害を拡大したため、水害後の復興では川幅拡張工事に合わせ、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園へ移設工事が行われたようです。