桜島望む薩摩義士の碑。
薩摩義士碑の特徴
鹿児島シティビューからアクセスしやすい立地で、散策に最適です。
平田靱負を筆頭に関係者の功績を称える歴史的な碑です。
桜島を望む絶景スポットとして観光にもおすすめです。
岐阜県民の方で鹿児島に行かれる方は是非立ち寄って手を合わせてください。宝暦治水という難工事を成し遂げた偉大な薩摩藩士に祈りを。根尾から送られた淡墨桜の植樹もあります。
2025.04.181755年木曽川の治水工事を幕命により薩摩藩がおこなった。その際に犠牲になった藩士の慰霊碑。
・城山の一角に佇む宝暦治水で落命した薩摩藩士の碑。「風雲児たち」ファンなら訪問必至みなもと太郎先生の「風雲児たち」の大ファンなのだけど、その外伝である「宝暦治水伝」は宝暦年間に薩摩を襲った最大の危機「木曽三川分流工事」の顛末と薩摩藩士の耐えに耐え、忍びに忍んだ日々にボロボロ泣いた記憶が。鶴丸城を見学し終えて城山周辺をブラブラしていたら城山へ上る坂道の途中にひっそりとこの碑を発見した次第。本当にひっそりと佇んでいるというか、殆ど隠されている様にしか思えず見落としやすいので注意が必要。碑は治水工事で落命した(事故死・病死だけでなく幕府への抗議で自刃したケースも)藩士の名が刻まれ、その頂点には工事の責任者を務め、工事完了後に岐阜の庄屋宅で全ての責任を取る形で自害した平田靭負の名が。ふと足元を見ると2本のペットボトルが置いてあるので「供え物にペットボトルは無いだろ」と呆れながら見たら「木曽川」「揖斐川」の名が。なんと薩摩藩士が人間としての尊厳を捨ててまで戦った大河の水が、工事から300年近くが経った今でも供えられているらしい。鹿児島の人たちは今でも彼ら薩摩義士の事を忘れていないのだなと思い知らされる碑であった。
1800年頃、幕府の名による木曽川・長良川などの治水工事。駆り出された薩摩藩の方々に、80名を越える犠牲が出た。義をなす行動力を後世の人々が忘れず、その功績を称えて石碑ができたとこと。
鹿児島シティビューという観光循環バスで城山公園下車し、散策しました。ここもバス停となっているので鹿児島観光コースとしておすすめです。
④隆盛終焉の地から歩いてここ⑤薩摩義士碑へ来ました。来るまで何の義士なのか分からなかったのですが・・・西南戦争とは関係ないようですね。それにしても、日本の南の端っこの薩摩藩に日本のど真ん中の木曽川流域の治水工事をやらせるとは・・・。幕府も権力があったというか、利己的・横暴だったのでね。鹿児島県が愛知県の治水工事なんて、今では考えられません。80余名の薩摩義士に手を合わせます。尚、この場所は、鶴丸城の北御門の近くにあり、城址碑がひっそりと建っていました。
そんなに有名どころですか?安らかにご永眠下さいませ。
木曽川、長良川、揖斐川、三つの治水工事を成し遂げた薩摩義士の方々。将棋の駒を並べたような形をしています。
2018年12月訪問。岐阜県の子供は、薩摩藩が莫大な人的財的犠牲を払って難工事を成し遂げてくれた木曽三川の治水事業について学校で習い、鹿児島の人に対して感謝の念を抱きます。でもこの場所にこういう記念碑があるのを知らず、西郷洞窟に向かう道でたまたま遭遇して驚きました。改めてお礼の祈りを捧げてきました。木曽三川それぞれの河原の石が供えてありました。
| 名前 |
薩摩義士碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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1753年に当時の幕府が命じた木曽治水工事では多くの犠牲者が出たそうです。勇敢な薩摩義士たちも犠牲となり今の木曽河川の安全が築かれたそうです。(合掌)