後村上天皇ゆかりの静寂。
住吉行宮跡(正印殿跡)の特徴
住吉大社の初詣とは対照的に静まりかえった場所です。
南北朝時代の後村上天皇ゆかりの行宮跡があります。
立入禁止の中、訪れた日は特別に入ることができました。
静かな場所です。
普段は立入禁止で門に鍵がかかっていると聞いていましたが、訪れた日には何故か開いていましたので声をかけるも人気もなく勝手に立ち入りました。明治元年(1868年)には明治天皇が正印殿跡を訪れられましたし、津守氏忠臣の碑迄ありますのでまんざら伝説の行宮跡でもなさそうですね?南朝方大覚寺統と懇親な住吉大社神主家 津守国夏.国基邸宅に行宮(仮の御所)が設けられたとしても不思議ではないです。都に返り咲くことを夢にみていた第97代後村上天皇は、夢半ばの41歳での生涯を終えられ、観心寺境内の檜尾稜に忠臣楠木正成公に護られ眠られています。宮内庁ではなく史跡として文部省(文部科学省)の管轄なのに違和感がありますけど!
後村上天皇、長慶天皇ゆかりの地。
南北朝時代の南朝の行宮跡です。
南朝の後村上天皇は、正平6年(1351)、北朝を奉じる足利義詮が降伏を申し出たので、翌年奈良県賀名生から住吉大社宮司津守国夏邸内の正印殿に移り、ここを行宮(行幸時の仮の宮居)としました。そのうち義詮は勢力をもり返して天皇の軍は敗れ、ふたたび賀名生に戻りました。後村上天皇はその後、たびたび行幸されましたが、ついに京都奪還はならず正平23年(1368)3月11日、41歳でこの地で亡くなられました。つぎの長慶天皇が即位されたのもこの地です。
昔はもっと広かったらしいが、今ではどうにか残ったこの部分だけ。放置されているように見えるが、文化財でもあるらしく、たまに改修工事してる。
国史跡。南朝方の後村上天皇の時に2度、長慶天皇の時に1度行宮とされた場所。後村上天皇はこの地で崩御され、長慶天皇はこの地で即位されたとされる。ただし行宮がこの地に在ったかという点においては確証を得ない。
だいたいは門が閉まっているので中には入れません。外から歴史を感じてください。
中に入ることができませんでした。
名前 |
住吉行宮跡(正印殿跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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住吉大社の初詣の賑わいをよそにひっそりと静まりかえっていました。2025年1月1日。