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名前 |
三本木の埋墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
本邦の死者埋葬の習俗では,故人の遺体を埋める場所とお詣りをする場所を同一にすることが一般的であり,現在もこれが主流である(単墓制)。しかし稀に,故人の遺体を埋める場所とお詣りをする場所を分ける風習が存在する(両墓制)。両墓制においては,遺体を埋める方の墓を「埋墓(ウメハカ)」と呼び,お詣りをするを方の墓を「詣墓(マイリバカ)」と呼ぶ。詣墓は寺や家の近くなどの比較的生活圏の身近に設置され,埋墓は比較的生活圏から離れた場所に設置されることが多かった。「埋墓」と「詣墓」を離す理由は良く分かっていないが,良く言われるのが,「遺体はケガれているため,触れたくない。そこで,ケガれた遺体から清浄な霊魂を写し取り,分けて祀る」というものである。土葬が行われた地域に限定されたため,衛生的ではない遺体を生活空間から出来る限り,引き離すという実利的な理由もあったのだろう。火葬が法定された現代では廃れてしまっている風習であるが,現在でも続いているところがあるという。個人的に,なぜか関西地方にのみ見られる独特の風習だと勘違いしていたが,どうやら関東にも普通に存在していた様である。新座市のサイトによると当地は,大和田の普光明寺の埋墓に当たる場所だそうだ。埋墓は,円墳の様になっている。円墳には,ムスカリかリュウノヒゲか何かが敷き詰められており,それぞれの方位に,香炉と花立が置かれていた。また,埋墓の中心に塔が建っている。塔は,見たことのない石造物であり,名前が分からない。詳しく観察するに,礎石の上に「永代過去精霊供養塔」と刻む大理石の基壇があり,その上に神仏の名前を刻んだ塔身があって,一番上に五輪塔が乗せられている。三本木講中によって,運営されていることが分かる。なお,墓域入口には享保十二年十月建之銘の丸彫地蔵尊菩薩等があった。礎石に杯状穴が多数あるため,元は街道沿いにあったことが予想される。また,そこに石が積まれていることが気になった。石積みの風習でも残っているのだろうか。