歴史と桜が彩る谷中霊園。
谷中霊園の特徴
歴史的な人物の墓が多く、徳川慶喜や渋沢栄一も眠る霊園です。
日暮里駅からのアクセスが良く、散策に最適な広大な霊園です。
春には桜が満開となり、訪れる人々を清々しい気持ちにさせてくれます。
桜木2丁目の交差点からの道が霊園内で突き当たる辺り、血洗島から移植したタブノキが目印となる渋沢栄一家墓所が有ります。ボランティアガイドさんからの受け売り情報です。最後の将軍、徳川慶喜公はいわゆる一般常識の無かったお方で、例えば自身でお金を払って物を買うといった事も出来なかったと言われています。渋沢栄一さんは慶喜公の経済面のみならず日常生活もお世話されていました。今も渋沢栄一さんの墓標は慶喜公の墓標を向いています。との事です。その徳川慶喜公の墓標は、歴代将軍の墓標と大きく趣が違い、明治天皇と同じ神道式です。東京23区内、唯一の派出所ではなく駐在所(お巡りさんが住んでる)の向かって左手後方に天王寺五重塔跡が有ります。幸田露伴の「五重塔」のモデルになりました。幸いにも震災と戦災を免れ、谷中のランドマークになっていましたが、昭和32年放火により焼失しました。実測図面が残っており復元可能との解説書きが有りました。是非とも再建を願います。ところでこの2箇所、度々投稿を試みましたがいずれも1日で消滅しました。何故でしょう?
春には桜が楽しめます!9月末、谷中霊園でキノコ発見!オオシロカラカサタケというそうです。美味しそうですが、何と毒キノコ🤐怖いですね〜彼岸花も咲いて秋めいてきました✨紅葉も楽しめます!徳川慶喜公のお墓もここにあります。その他、著名人のお墓も!横山大観、渋沢榮一、鳩山家など。
旧吉田屋酒店を見学した後は谷中霊園へ。谷中は墓地も観光名所の一つだったんですね。霊園の観光名所なんて青山墓地しか知らなかったので少し驚き。こないだ日光で徳川初代将軍家康のお墓参りをしてきたが、ここは徳川最後の将軍慶喜がここに眠っていたのですね。他にも新一万円札の肖像、渋沢栄一氏だったり横山大観などのお墓もあるようだ。ちょっと探してみようかと思ったが、墓地の敷地が広すぎる、そして墓地も多すぎて探すのは断念。危うく迷子になりそうになった。今度は事前に場所を調べてからもう一度来てみたいですね。
お墓巡りもいいねと思わせる ロケーションの良さと歴史を感じる場所です。渋沢家の墓は移植されたタブの木共々一見の価値あります。徳川慶喜もあるし、今話題の牧野富太郎もありました。
日暮里駅の近く、谷中にある大きな墓地。面積は10haで約7000基の墓地があります。かつては谷中の寺院・天王寺の敷地でしたが、明治政府は墓地の多くが寺院の所有で公共の墓地を作る必要に迫られていたことから、天王寺の土地を没収し、そこに墓地ができました。谷中霊園と呼ばれるよう になったのは1935年からです。豊島区の雑司ヶ谷墓地と同じく、多くの著名人が眠っており、代表的な人物は徳川慶喜、渋沢栄一、鳩山一郎、森繁久彌、横山大観など。
谷中霊園は都立霊園ということですが、歴史的な人物の墓も多くあり、日暮里駅から上野駅にかけては、「寺と坂の街」の谷中で懐かしい街並みを楽しめるエリアです。
ご先祖様の墓参りでしたが、桜が満開で、雨天時でしたが、爽やかで清々しい日になりました❗
霊園の中央あたりに駐在所あり。その並びに著名人の墓所の場所が記された紙が貼ってあった。青山や多磨、染井、雑司ヶ谷に比べて文化人が多く眠っている印象。有名なところでは徳川慶喜と鳩山一郎の墓がある。
首都・東京の霊園には、必ず何れかの有名人のお墓があります。それらを訪ねるのがマイブームで、今日は渋沢栄一さんをお参りに来ました。近々お札になるという事で、大河でも採用された為か、周辺が整備されベンチも置かれてました。でも何か物足りない。東京駅の裏に、ひっそりと忘れ去られた感のある銅像をこちらに移せば良いのに…と思いました。
名前 |
谷中霊園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3821-4456 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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墓参ラ―ではないですが、父の墓参りの序でによく散策します。住み着いている野良猫ちゃんたちに会うのも目的です。小学校が近くだったので、放課後によく友人たちとここで遊んでいたのを思い出します。ニコライ堂のニコライさんが、外人墓地ではなく、ここに埋葬されているのも不思議に思いました。とにかく、色々な思いが溢れる場です。