歴史息づく砂像と城。
別府城跡の特徴
階段趣きながら進むと砂像が楽しめる歴史的な場所です。
日新公が居住していた戦国時代のゆかりの地を訪れました。
平安時代末期の別府五郎忠明にまつわる歴史が感じられます。
砂像がありました。
戦国島津ゆかりの地 日新公が居住しておられた場所です。
私の遠い遠い先祖の一人はこのお城で生活していたようです。私にとっては感慨深い場所ですが、多くの人にとってはただの公園なのでしょう。
平安時代の末1100年ごろ、加世田を領有したのは平家一族の別府五郎忠明でした。忠明は加世田に別府城を築き、以来300年余年間別府氏の治世が続きました。別府城は、福寿城・尼ヶ城・中之城の三城に分かれていましたが、明治36年に加世田小学校がここへ移転した際、三城をならして校地にしたので、昔の姿はなくなりました。その上、昭和37年に城の大半が削られて、下の平地と同じ高さになってしまいました。ただ、尼ヶ城等の一部が東西に残っており、大手口も途中までは昔のおもかげを保っています。別府氏は1420年(応永27年)第8代島津久豊に降り、それから約120年間は、出水の島津氏が城主となりました。現在は市街地となり、石碑が建てられているのみで遺構は残っていません。公園になっており、隣に駐車場があります。
平安末期薩摩平氏の一族別府忠明が開いた城。一の丸、二の丸、三の丸からなり、川や湿地に囲まれ、難攻不落の要塞をなしていた。益山用水路、六地蔵塔、竹田神社、日新寺仁王像があり。
名前 |
別府城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0993-53-2111 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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階段趣きあります。