日本で最も新しい福江城、感動の歴史散歩。
福江城(石田城)跡の特徴
五島氏庭園での丁寧な説明が心に残る体験です。
福江城跡は江戸時代最後の城の跡地で感無量です。
石垣やお堀の美しさに感激し、散歩にも最適です。
福江城(石田城)は、文久3(1863)年、第31代・五島盛徳公の時に完成した、日本で最後に造られた城である。現在は、石垣と蹴出門(当時の裏門)、陰殿屋敷(藩主の隠居所)だけが残っている。築城には、14年の歳月を要しました。現在は敷地の大半が五島高校の敷地になってるみたいです。
続100名城のスタンプラリーで訪問。五島観光歴史資料館でスタンプを押しつつ城の周辺を散策。城跡には五島高校が建っているため、城を感じるのは城壁程度になります。
この城は国主・城主格でなく陣屋を構えるしかなかった五島氏が、幕末の外国船に備える海防の必要から築城を許され、文久3年(1863年)に竣工した日本で最も新しい城です。しかし明治4年新政府により破却され、9年しか存在しなかった城となります。築城当時は三方が海に面した海城であったようですが、現在は埋め立てにより陸地に囲まれ、現存するのは搦手の蹴出門と庭園、五島盛成公の隠殿(隠居所)だけです。
復興や復元含め、天守閣が無いと城とは呼ばないと言う人にはつまらないかもしれません。石田城の凄いところは、本土から100km離れた離島に、外堀、内堀を構えた本格的な和式城郭であることです。元々は火事で消失した江川城の代わりに、石田の浜に築かれた石田陣屋が始まりで、幕末に築城許可が降り、陣屋を城郭へと拡大、築城したものです。本土から100km以上離れた対馬にも城跡はありますが、石田城のような縄張りでは有りません。日本一新しい城、最後に作られた城として有名ですが、水門跡、現存の石橋2つと高麗門は見応えが有ります。それと野面積みを強調される書籍が多いですが、城の玄関とされる大手門や枡形等には切り込み接ぎも見られます。凄く歪な加工が施され、当時の石工の技術の高さ、それと言い方を変えると何故にそこまでして組み上げたのか?と色んなことを想像してしまいます。
続百名城の187番1849年(嘉永2年)異国船を監視し、海上防衛に備えるとの目的で築城。3方面を海に囲まれた海城。現代日本で最も新しく完成した城でもある。遺構としては門、石垣・堀、二の丸にある庭園等。高校の入口にある門は当時の門だと思われる。外周をぐるっと回っても小一時間もかかりません。けっこうしっかりと門が残っていたりするので見どころは中々いいですね。幕末に作られたはずなのに所々石垣は野面積みで面白い。それも丸い石なので登りやすそうでもある。
お城は石垣しか残らない平城ですが、五島氏庭園ではお二人の女性スタッフによるとても丁寧な説明に感心しました。心からのおもてなし感を感じ、良い旅になりました。有り難う。
石垣とお堀が綺麗で楽しめるまたお堀の水が海水の満ち引きで変化するのが感激、以前は石垣までが海で干拓によって回りが陸地になったと教えていただいた朝の散歩で高校生に声をかけたら清々しく返事を頂けたので嬉しかった、歴史資料館は月曜日が休館日でした。
福江港から徒歩で10分ぐらい、自転車だと5分ぐらいです。堀と石垣が残っており雰囲気は味わえますが、天守とか櫓とかは残っておらず復元もされていないので、あまり過大な期待を抱いていくと肩透かしをくらうことになるかもしれません。
福江港から徒歩5分程度の場所にある城址です。外部はお堀と立派な石垣があり、大変見応えがあります。城自体は廃城になっており拝むことが出来ません。天守の辺りは、現在五島高校になってると思います。また、内部には資料館や庭園などもあるので、福江島の歴史を学んだり、お散歩をするのがおすすめです。
名前 |
福江城(石田城)跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0959-72-6111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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続日本百名城です。石垣はとても小さな藩が造ったものとは思えないほど立派ですね。歴史博物館に入るとさらに詳しく五島の歴史が学べます。