歴史を感じる友愛グラウンド。
兵庫・沖縄友愛グラウンドの碑の特徴
島田叡氏顕彰碑の存在が目を引く、歴史的な記念碑です。
多目的広場として利用できる奥武山公園内に位置しています。
沖縄の激戦期を知る兵庫・沖縄友愛グラウンドが趣深いです。
沖縄がまさに激戦地になること必至の状況下の 1945年 1月,沖縄県最後の官選知事として、島田叡(あきら)は死を覚悟で決然と沖縄に赴いた。戦禍の中において県民を守るため、死を賭して尽力し、「沖縄の島守」として慕われる。最後は県民と運命をともにする。享年43歲(兵庫県神戸市須磨区出身)その島田叡知事の縁によりもたらされた至誠と信頼。そして尊敬を礎とする兵庫・沖縄の交流の歴史は、1972年「復帰の年」に締結された「兵庫・沖繩友愛提携」を 機に一層深まり、数々の交流事業が展開された。かつてこの地には、兵庫県民から贈られた「兵庫・沖縄友愛スポーツセンター」があり、多くの若者・県民がスポーツやレクレーションを楽しんだ。このグラウンドは、スポーツをこよなく愛した島田叡知事が青少年の嬉戯する姿を思い描き、将来にわたって、なお一層両県の「絆」が発展することを祈念して「兵庫 ・沖縄友愛グラウンド」 と呼称するとともに、両県の「友愛の証」とする。-碑文より-
同グラウンドネット裏の公園通路に「兵庫・沖縄 友愛グラウンド」の碑があります。沖縄最後の官選知事島田叡とかあれの出身地兵庫県から贈られた旧「兵庫・沖縄 友愛スポーツセンター」を記念する石碑です。対面には島田叡の顕彰碑があります。
名前 |
兵庫・沖縄友愛グラウンドの碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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「島田叡氏顕彰碑」の建立にあわせ、同じ敷地内の奥武山公園の野球グラウンド(多目的広場)が、学生野球の名選手だった島田氏の球歴にちなみ、「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と名付けられました。