南大東島の歴史が息づく三本の柱。
上陸記念碑の特徴
島の噴火を記念する三本の柱があります。
開拓者の偉業を称える特別な場所です。
沖縄県南大東村の歴史を感じられる観光名所です。
1900年(明治33年)、初めて渡島した人々が西港に上陸したことを記念して建てられた碑です。ちょうど 西港を見下ろすように 高台に建てられていて、当時の歴史を想像しながら眺めると特別な気持ちになります。もともとは木柱が立っていましたが、1993年に現在の石碑に建て替えられました。石には当時の渡島者や関係者の名前が刻まれていて、その中に自分と同じ「小島」という苗字を見つけてびっくり😳✨遠く離れた島で同じ名前を見ると、不思議な縁を感じます。南大東島は“沖縄なのに無人島から始まった開拓の島”。この記念碑は、その独特な歴史を実感できる大切なスポットだと思いました。
南大東島の歴史を後世に伝える記念碑です。
西港からの登り坂の途中、海を見下ろせる場所にあります。『新天地を求め、第一回開拓者二十三名が南大東島への上陸に成功したのは、明治三十三年(一九〇〇)一月二十三日のことで、時の船長は、小島岩松であった。彼は豪胆沈着で、開拓主玉置の「帰郷再挙を図れ」の召電にもめげず、難航すること三度、遂にその目的を達成した。碑は右から、開拓主玉置半右衛門翁の命により初上に成功した第一回洋丸船長小島岩松上陸記念碑。次いで真ん中が、明治三十七年暴風雨に遭遇、沖縄近海で死亡した故小島岩松ならびに、島の開拓に貢献した開拓事務長山田多恵吉(明治四十五年四月十日死亡)の碑、左端が、大東島開拓と鳥島爆発記念の碑となっている。最初の頃は(明治三十七年初期に建立)木柱で、玉置所有船第一回洋丸船長小島岩松外乗組員の碑と、鳥島爆発記念碑の二本であったが、昭和五年に鉄筋コンクリートに建て替えられ、現在のように三本になった。』
南大東島は琉球王国の支配領域に組み込まれたこともなく、ずっと無人の島でした。1820年、ロシア海軍が南大東島を発見し以後サウス・ボロジノ島として海図に記載されます。1853年にはペリーが来航したようです。1885年8月29日、日本領土としての標識が設置されます。1892年には数組の開拓団が上陸を試みますが、海岸線の険しさに上陸できず、すべてが撤退しています。そして1900年1月23日、八丈島の商人である玉置半衛門ら23名がようやく上陸を果たしました。開拓記念碑の左は、玉置半右衛門が指揮をとって開拓していた鳥島が爆発し、開拓民が全員犠牲になったことに対する慰霊塔。真ん中は初上陸時の船長「小松岩松」が1904年に暴風雨で遭難したことの慰霊塔、そして右が1900年の上陸記念碑となります。開拓初期の問題は船舶の接岸でしたが、現在も中型船や大型船が着岸できません。しかも運ばれてきた物資がクレーンで降されているなど、港湾の整備が遅れています。しかし、急峻な岸壁があったらばこそです。最初の発見者が岸壁を乗り越えていたら、と考えるとぞっとします。
西港から役場などの中央街に向かう時に目に入る記念碑です。この島の歴史に大きく影響受けた年の記念に建てられているようです。草刈りをしている人もいて、整備はされています。
2022.11.133本の記念碑が立っている。右から最初に上陸した小島岩松船長の碑、中央が暴風雨に遭遇し亡くなった同じく小島岩松船長と最初の事務長である山田多恵吉氏の碑、左が鳥島爆発記念碑。昭和5年に製糖工場の所長が立てたものだ。この国の人は昔から記念碑を立てるのが大好きだ。
西港に船が着くと携帯の電波が入る最初の場所。
記念碑のみで目立った施設はありません。駐車場もありません。
三本の柱は、島の噴火と開拓者の記念碑。
| 名前 |
上陸記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
09802-2-2815 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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この地に、上陸した方々の偉業を称える記念碑です。中には、2度目の航海で嵐により命を落とされた方も。