シムクガマ、命を繋いだ場所。
シムクガマの特徴
道がわかりにくいが、本物の史跡の趣を感じられます。
シムクガマには多くの命を救った歴史が秘められています。
訪問にはヘルメットとライトが必要で、注意が必要です。
比嘉さんの通訳があってみんな助かったお互いコミュニケーションを図ろうとすることが人命の救助、平和につながります。
普通の住宅地の直ぐ近くにある小川のあるひんやりした洞窟.ここに避難された方々がいると思うと胸が締め付けられる.
最高気温32度の日に伺いましたが、近くに川が流れていてとてもひやりとしていました。入口しか見なかったのですが奥が相当深く1000人が避難していたようです。こちらのガマは多くの人々の命が助かったということでした。
【80年前沖縄は戦場だった】どなたかが書かれているように、看板無し、駐車場無しです。路駐です。民家の右の道、下り坂を降り、すぐに分岐するところを右に進みます。こんな道を行くの?と思えますが、そのまま進むと小川が流れる横に出るので、その道をさらに進みます。マップ上の位置は正しくありません。相当先に行きます。道が粘土質の土で滑りやすいので雨の日はお勧めしません。私は雨が降った直後に歩き、滑って転びました。1945月4月1日に読谷山村波平の巨大なこのシムクガマに足の踏み場もないほどの人が避難しました。周辺では米軍の戦車が走っていました。そんな中、米軍の呼びかけとハワイ在住経験のある比嘉平治さんと比嘉平三さんの説得と米軍との交渉で約千人が保護されたのです。近くのチビチリガマとはまったく違う選択ができたガマでした。
チビチリガマは行ったことありましたが、シムクガマにははじめていきました。ものすごく大きいガマで驚きました…。ガマに入った瞬間、川が流れていることもあり、ものすごくひんやりしていました。ガマの中は携帯のライトでも数センチ先しか見えないくらい真っ暗。戦争当時、ここで140名の方が身を潜めてたと思うとすごく不思議な気持ちになりました。
ちょっと⋯1人で行くのは勇気がいります。だから、Uターンしました。(泣)
近くを通ったなら寄ってみても良いかと思います。ただ、駐車場はありません。ここで1000人もの方々が避難されていたと想像すると、なんとも言えない気持ちになります。
2023.09.09波平地区にあるガマで集落の外れに緑に囲まれた場所だ。小さな水の流れが琉球石灰岩の洞窟の中へ流れれ込んでいる。真っ暗な空間は奥へ奥へと繋がっているようだ。アメリカ軍の上陸に際し、1000人もの住人がこの漆黒の空間に逃げ込んだそうだ。上陸当日にここまで達したアメリカ軍が投降を呼びかけた際に、ハワイ帰りの住人二人が交渉し避難民全員が助かった。情報に基づいた正しい決断をして、人々を説得する。立派な方々がいらしたものだ。今の政治家にも是非とも訪れて頂きたい場所である。なお観光地ではないので、案内板はほぼないし、道も整備はされていない。游び心で行く場所ではない。
シムクガマへの場所が分からなかったのですが、要所2ヵ所で犬の散歩と、個人の散歩に出られた方がいらして、道を尋ねて到着。この2人に出会えていなければ…ご縁を感じました。シムクガマへの道に小さく、案内板が出ています。ココ、草刈りをしていないこともあるそうなのですが、綺麗に草を刈っており、ハブさんの出現に対応できまする。ガマまでそこそこ距離がありまして、ツルッツルの道を下って行きました。
| 名前 |
シムクガマ |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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読谷村波平にあるチビチリガマとシムクガマは、大切な沖縄戦の継承に無くてはならない場だと思う。洞窟(ガマ)や自然壕が沖縄戦において多くの沖縄戦を生き延びるための防空壕の役目もはたしたが、沖縄戦の悲劇を生んだ場所もある。読谷村のだけでなく沖縄県の公的関係機関や専門家など連携を取りながら(たとえば南風原町の20号壕を含む陸軍病院壕群を文化財に指定された全国に先駆けて戦争遺跡の洞窟(ガマ)の平和発信源になっている)安全面の細心の注意を払いながら維持・管理することで平和継承の大きな礎になると思う。