心を感じる帰安碑の弔い。
帰安碑の特徴
人の心を感じる独特な弔い方が魅力です。
月隈神社に登る途中のアクセスも便利です。
歴史的な価値を持つ帰安碑の存在感が際立っています。
こういう弔い方には人の心を感じます。尊い優しさであると思います。
帰安碑は、月隈神社に登る途中にあります。1818年(文化15年)、塩谷大四郎正義郡代時代に金比羅社を建立するための山道拡張と修復工事が行われた際、横穴より人骨が出土しました。この人骨は古代日田地方を治めていたとされる豪族日下部氏一族の墓であると考えられています。この人骨の供養のため、塩谷は「帰安碑」という供養塔を建立しました。碑文は廣瀬淡窓によるものでです。
| 名前 |
帰安碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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帰安碑文化15(1818)年春、咸宜園塾主広瀬淡窓 (名は簡)は日田代官塩谷正義に召されて、「帰安碑」の碑文を撰するよう命ぜられた。これは、前年に着陣した新任の塩谷代官が、金比羅社建立のため永山城址を整備した時、山腹にいくつもの横穴が見出された。人夫に掘らせたところ中に古い人骨が散乱しており、少しの土器のほかには何のしるしもない。代官はその骨を集めて山の下に改葬し、その上に碑を建ててみずから「帰安碑」と名づけたものである。淡窓は漢文でこの経緯を記した後に人骨への弔慰の詞を述べて、「文化十五年戊寅四月 丙辰 広瀬簡誌」とした。 いうまでもなくこの穴は古墳時代の横穴墓であった。碑は山の下から現在場所に移されたが、後年多くの勤石を残した淡窓先生の、記念すべき最初の碑文である。日田市。