カスリーン台風の伝承地、歴史を感じる散策!
決潰の跡碑と一本桜の特徴
カスリーン台風の歴史を伝える、感慨深い伝承碑です。
荒川の決壊について学べる、貴重な資料が揃っています。
桜が咲く公園内に位置し、休憩に最適なスポットです。
小学校の頃、社会科の授業で習ったカスリーン台風、その決壊した場所を訪れ、とても感慨深い。
昭和22年9月、カスリーン台風により起きた甚大な被害を後世に伝える場所です。加須(旧大利根)にあるカスリーン台風公園と言い、広域に渡って爪痕を残したんですね。
2019年の台風19号の件もあるので、この場所を忘れてはいけません。過去の話ではなく、現在進行形の危険だからであります。この碑のすぐ近くには堤防の厚みを増し、護岸用のテトラポットが配備されている場所があります。ここがまさにその場所だったのだろうと思わせてくれます。私も荒川流域の住民の一人です。サイクリングでここを通るたびに立ち止まります。素通りができない場所です。
昔荒川が決壊した話しは聞いたことがあったけど、この看板のお陰で分かりやすい。
ここが、未曾有の大災害の嚆矢だった。
桜が咲いています!
荒川サイクリングロードの休憩所としても利用できる。トイレなどはなく、ベンチと碑、案内看板のみ。しかし、この案内看板は衝撃的。昭和22年のカスリーン台風で、この地点で荒川が決壊、更に利根川も決壊し、埼玉県内、更には東京都内も大洪水に見舞われた大災害が起こったとのこと。昭和57年にも、また大洪水寸前まで至ったという事も記載してある。治水が至らない場合には、こういった大災害に見舞われる、という教訓を教えてくれる休憩所でした。
普段は何気なく通り越していたのだが、マップの活動を始め出してからこう言う物にも目に付くように成った昔、荒川が洪水を起こした際の被害を忘れない為の記念碑との事確かにこの周辺の土手上から多数のテトラポットを見掛ける。
名前 |
決潰の跡碑と一本桜 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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カスリーン台風(昭和22年)の自然災害伝承碑。碑文は次の通り。(表)決潰の跡埼玉県知事 栗原浩書(裏)昭和二十二年九月九日トラック島附近に発生したカスリン台風は 猛威をふるいつゝ同月十五日夜半房総半島南部に上陸した このため熊谷地方も十四日早朝より降り続いた豪雨は 十五日夜に至るもやまず 風速相加わって猛烈を極め すでに前日より警戒水位を突破して危険状態に陥った 本組合は 地元熊谷土木工營所及び警察署 並に各水防団 地元民等の応援を受けて官民一体となって悪条件の下必死の水防作業を展開したのであるが その苦斗もむなしく 濁流はうずを巻き氾濫凄惨を極め 全く手の施すすべもなかったこれがため 荒川左岸熊谷市大字久下地内堤防が十五日夜に至り同一一九番地先より一二三番地の間 大小二箇所延長百米余り決壊し 濁流は近傍の田畑を呑み忽ちにして泥沼と化し 隣接吹上 大井 行田方面に氾濫し 住民は周章狼狽 人命の危きを知り 災禍より免がれるべく避難の道より水はなかった 就中 約一時間遅れて下流の田間宮村行人堰附近約九〇米が決潰し 吹上 小谷 中井 糠田地区を呑み 濁流は更に元荒川に流入し 堤防を寸断して 箕田 下忍 埼玉 屈巣 笠原 種足 小林 加納 北本宿 常光 平野 蓮田 岩槻方面〓 侵蝕󠄀し 総員必死の努力も力を奏せず未曽有の災害を蒙り いよ〳〵荒廃を加え窮乏を増大するに至ったのである 此の秋にあたり 水魔のいかに恐るべきかを知り我々郷土民の間にこれに対処する決意と 準備とを悟り 治水対策を十分にわきまえるべくこゝに碑を建立し 深い関心を拂われんことを広く世人に望むものである昭和三十三年十一月十五日荒川北縁水害予防組合管理者 藤村篤治各位、防災に役立ててください。