歩兵第22連隊の記憶を巡る旅。
栄里之塔の特徴
昭和20年6月17日、真栄里で全滅した歴史が刻まれています。
沖縄戦の激戦地としての重要な役割を果たした場所です。
歩兵第22連隊の苦難が感じられる厳粛な空間です。
安らかにお眠り下さい。
愛媛県出身者の方は歩兵第22連隊について調べたうえで、是非お参りしてほしい。駐車場らしき場所あり。
小高い丘である故、再激戦地だったようです。米軍も日本軍も多くの死傷者を出し今は平和な時間が流れます。
歩兵第22連隊は第32軍の左翼第1部隊として真栄里付近に布陣を敷き戦ったが、昭和20年6月17日に全滅。終戦後、真栄里地区の住民は田畑、道ばた、丘などに散らばる遺骨を集め、この塔を昭和27年3月に建立、昭和43年3月、㈶沖縄協会の援助を受け改装されたとあります。
第二次世界大戦(沖縄戦)に於いて愛媛県で建軍された日本陸軍歩兵第22連隊が1945年6月17日に玉砕した地。
半厳粛なリマインダー。(原文)Semi-solemn reminder.
| 名前 |
栄里之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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栄里之塔は、戦後ここ真栄里周辺に野ざらしになっていたご遺骨を地元の方々が収骨しおよそ12000柱を祀っていたものです。特に真栄里周辺には、第32軍隷下の歩兵第22連隊が布陣し激戦が繰り広げられました。栄里之塔の直ぐ西側の丘阜では米第10軍司令官のサイモン・B・バックナー中将が戦死しました。