座間味村の平和を祈る旅。
座間味村平和之塔の特徴
慶良間諸島の沖縄戦慰霊碑がある場所です。
集団自決地が多く、深い歴史を感じます。
平和を考えさせられる意義ある場所です。
第二次大戦時、最初にアメリカ軍が上陸したのが慶良間諸島でした。座間味でも、たくさんの方が亡くなりました。座間味に来たなら、平和之塔で、手をあわせたかったのでたずねました。集落から、歩いて数分です。少し坂を登って、階段を100段以上のぼりますが、たいしたことはないです。
2023.03.07座間味村での戦闘で亡くなられた軍民1200人余りが祀られている。合掌。
港から徒歩圏内10分満たないくらいか。アスファルト舗装の道路から入った所にある。少し山を登る。
村役場に「座間味村戦跡地ガイド」があるので、その冊子を一読してから訪問すると、この島への印象が変わると思います。ケラマブルーに米軍の戦艦、今となっては想像もつきません。
住民に対する集団自決の強制があった事実を知りませんでした。教科書レベルの知識でこの歳まで生きてきた事、恥いる次第です。御冥福をお祈りします。
沖縄戦の慰霊碑。
少し登ります。階段の幅が狭く、石畳なのでスニーカーは必須です。雨の日は避けた方がいいです。途中で草や枝にも当たります。体力に自信のある方は大丈夫だと思います。個人的に座間味島で1番印象に残った場所ですので、おすすめです。
1945年3月26日連合軍は、座間味諸島から沖縄上陸作戦を開始した。東京大空襲の半月後、広島に原爆が投下される5ヵ月前の事だ。座間味島では402名の島民が集団自決する悲劇が起きた。この慰霊碑は、平和を願う島民によって建てられたもので、塔を囲む石板には戦争で犠牲となった住民・軍人1,302人の氏名が刻まれている。
慶良間諸島では集団自決地がとても多い歴史と平和を考えさせられる場所。
| 名前 |
座間味村平和之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
098-987-2153 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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座間味村平和之塔は、1945年(昭和20年)の沖縄戦において、慶良間諸島・座間味島で犠牲となった人々を慰霊し、恒久平和を祈念するために建立された慰霊碑である。沖縄戦の始まりと慶良間諸島太平洋戦争末期、沖縄戦で最初にアメリカ軍が上陸したのは沖縄本島ではなく、慶良間諸島であった。1945年3月26日、米軍は沖縄本島攻略に先立ち、座間味島・渡嘉敷島・阿嘉島などへ上陸し、慶良間諸島は沖縄戦の最初の戦場となった。慶良間諸島は、那覇から約40km西に位置し、艦隊の停泊や補給に適した地形を持つことから、米軍はここを前進基地・補給拠点として確保し、4月1日の沖縄本島上陸作戦へとつなげていった。当時の座間味島と島民当時の座間味島には、約1,200人前後の島民が暮らしていたとされる。島内には日本軍の部隊も配置されており、米軍上陸と同時に、島民は戦闘と軍事統制の影響を直接受ける立場に置かれた。犠牲者数とその背景記録によると、座間味島では約170〜180人前後の島民が死亡したとされている。犠牲者には女性・子ども・高齢者が多く含まれており、戦闘による直接的な死だけでなく、集団自決や戦時下の混乱による犠牲が発生した。当時、日本軍の統制下で• 捕虜になることへの強い恐怖• 「生きて捕まるより死を選ぶべき」といった誤った認識• 正確な情報が住民に伝わらなかった状況が重なり、住民の間に極度の不安と混乱が広がっていたことが、悲劇を拡大させた要因とされている。この出来事は、慶良間諸島全体で起きた住民犠牲を象徴する事例の一つとして、現在も研究や証言の対象となっており、沖縄戦史の中で重要な位置を占めている。平和之塔の意味座間味村平和之塔は、こうした犠牲者を慰霊すると同時に、• 沖縄戦は本島だけで起きたものではないこと• 離島の一般住民も戦争の最前線に立たされた現実• 戦争がもたらす恐怖と情報統制の危険性を静かに伝える存在である。現在、塔の周囲は静かな環境が保たれており、観光地としての華やかさはない。しかし、その静けさの中で、失われた命と日常の重みを深く考えることができる場所となっている。