美しきオブサン古墳へ!
オブサン古墳の特徴
いつでも見学できる石室内が開放されており、興味深い体験ができる。
エジプトのギザのスフィンクスを思わせる珍しい突堤がある古墳です。
近くにはピクニックに適した広場やトイレも整備されている。
チブサン古墳より50年ほど後の6世紀後半に築造された円墳。墳形は円墳だが、入口の両脇に突堤(とってい)と呼ばれる突き出た部分があるのが非常に珍しい。石室内に三角文が描かれている。地元ではお産の神様として祀られている。「産さん(うぶさん)」がなまって「オブサン」と呼ばれるようになったとのこと。チブサン古墳は「乳房」でお乳の神様。両古墳は一体として意識されてきたのだろう。山鹿市立博物館の周辺には、チブサン古墳・オブサン古墳をはじめ、多くの古墳が集中しており古墳好きには見逃せないエリア。国指定史跡であるとともに、装飾古墳として菊池川流域日本遺産の構成文化財のひとつになっている。
チブサンの後に命名されたとか書いてあるから、オバサンとしか聞こえない響き。実際は安産を祈願してつけられた名前らしい。人間だもの。子孫繁栄や安産祈願が大切に扱われるのは当たり前かもしれない。けど、それって今でも変わらない人々の願いだよなあ。うちも、流産何度もしてて、相談してみたら、結構、言わないけど実は、って流産してる人たちやそういう記憶を持っているオジサンたちもいっぱいいた。チブサン古墳は、鍵がかかってるけど、オブサン古墳は、わりと中の方まで解放されている。入り口の形状も末広がりで、美しいなって思った。
面白い形の古墳です。安産祈願で有名らしいです。見れば納得します。チブサン古墳も近いので、そちらも行かれるといいですよ。
チブサン古墳とセットで有名なオブサン古墳は美しい円墳で、チブサン古墳とはまた違う美しさが素晴らしいです。菊池川流域が古代から栄えた地域だったのだなあと再認識いたしました。
開口部が広がった形になった珍しい古墳です。その左右に翼を広げるような佇まいがとても美しいです。西南戦争時には陣地として利用されたそうで閉塞石は盾として使われたとのことで銃弾の後が残っていました。
2019年12月初旬に観光で歴訪。自動車や二輪車等は山鹿市立博物館の敷地の無料駐車場で駐めましょう、博物館前の空き地は迷惑になるので駐めないように。玉名駅から北東へ20km車で33分、新玉名駅から北東へ17km車で25分ほどかかります。私の場合はレンタカーで福岡県大牟田駅前から南東へ向かって30kmで45分かかりました。チブサン古墳を見るには山鹿市立博物館への事前予約が必要ですが、オブサン古墳は常に石室が開かれてるのでガイド不要なら事前予約無しで見られます。私の場合はコロナ禍前だったので、平日当日に山鹿市立博物館の受付で午前10時と午後2時のどちらかを選んで申請して、ガイド同伴の案内と説明をチブサン古墳とオブサン古墳と西福寺古墳群で受けました。博物館から古墳群への移動は、博物館のワゴン車に同乗するか、ワゴン車先導に続いて自分の自家用車で運転する、のどちらかを選べます。受付の博物館から自動車で北北東へ3分程(徒歩なら7分程度)移動して、チブサン・オブサン古墳群に近い専属無料駐車場で駐めて、そこからはガイド案内に従って徒歩で向かいます。石室内は独特なデザインの鉄柵が嵌められており、鉄柵越しに剥がれ落ちかけてる装飾文様を見られます。石室内は狭く、鑑賞は大人4人が入ればいっぱいになるので、参加人数が少なそうな日程を勧めます。トイレが無いので事前に山鹿市立博物館で済ませましょう。【2025年睦月筆】
石室内が開放されているので、いつでも見学できる。しっかりした石組みと、それを覆う墳丘の姿が逞しい。
とても珍しい、突堤(入口両脇の突き出た部分)を持つ古墳で、エジプトのギザのスフィンクスを思い出します。デザインが良く、お気に入りの古墳です。
チブサン古墳の西北約350mの場所に位置しています。昭和59-60年に熊本県教育委員会が発掘調査を実施しました。発掘調査の結果、直径22m、幅約4mの周溝がめぐっていることが明らかになりました。葺石や埴輪は認められませんでした。石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けています。墳丘内側だけでおさめるのでなく、円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、間口4.5mで羨門まで奥行8mの前庭部を確保しています。南に開く横穴式石室は複室構造で、奥室には石材は残っていませんが石屋形があったことが判明しました。石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5m、前庭部の8mを加えると16.5mになります。奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭もしくは盾が認められますが、痕跡程度になり肉眼では判読できないとのことです。本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高いです。副葬品として鉄地金銅張りの馬具等が出土しています。オブサン古墳は6世紀中ごろのチブサン古墳に後続する首長墓で、6世紀後半に築造され7世紀前半まで追葬がなされていたと考えられます。円丘から突出する張出し部をもつ特異な構造、前庭部列石を含めた全長16.5mの石室規模、貴重な壁画装飾をもつことから、チブサン古墳とともに、熊本県を代表する古墳のひとつといえます。江戸時代以来、チブサン古墳の壁画図像からくる「乳房信仰」とともに、オブサン(うぶさん=産さん)古墳は「お産」の神様として信仰の対象となり、両者は一体として意識されてきました。古墳時代・平安時代には墓として、、江戸時代以降は「安産の神様」としての信仰の場、明治時代には西南の役の陣地にというように、時代の変遷に伴い多様な用途で使われてきました。様々な遺物により古墳の辿った歴史が判明しています。これらの遺物のレプリカは、オブサン古墳のそばにある野外展示スペースで見ることができます。◇オブサン古墳から見つかった遺物・当初の副葬品(古墳時代):耳輪などの装身具、馬の飾り具、須恵器の壺、甕片・追葬時のもの(平安時代):白磁碗、土師質土器・西南戦争時(明治時代):鉄砲の弾丸、弾痕のある石室の閉塞石・安産の神としての信仰に関するもの:灯明皿、賽銭、牛乳びんの破片。
| 名前 |
オブサン古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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素晴らしい!!とても良く維持管理されています。ロマンがありますね!