八丈島の歴史を感じる場所。
大賀郷小学校[永郷分教場跡]の特徴
昭和49(1974)年度までの歴史を持つ跡地です。
八丈島一周道路沿いでアクセスが便利です。
大正6年(1917)に開校した歴史的な場所です。
昭和49(1974)年度まで存続していた八丈町立永郷小学校の跡地です。廃校後の一時期はユースホステルとして利用されましたがそれも営業終了となり、現在は跡地にこの石碑を残すのみです。卒業生は総数98名、閉校時の在校生4名でした。八丈島は火山島であるため農地に適する土地が乏しい島です。しかも火山の噴火や台風による被害が頻繁で、古来何度も飢饉に苦しめられてきました。そのため人口は増やさないこと、できれば移住をさせてでも島民の数を減らしたいという考えが根底にあったようです。1900年には玉置半右衛門率いる集団が大東島に移住しました。これを嚆矢に大正末期には八丈島からサイパン、テニアン島などへの「農場移民」が始まり、かなりの人数が南方に移住しました。しかし戦後、一転して南方からの引き上げが始まります。多くの八丈出身者が「一族」を率いて帰島しますが、当然土地は不足します。そこで島の「荒れ地」に入植が進められたわけです。このような引揚者の入植政策は日本各地で行われ、知床半島にも開拓の手が伸びたほどでした。しかし戦後のどさくさが収まるにつれ、徐々に僻地の入植地は放棄されてゆきます。生活に不便だからです。知床の入植者も1966年にはすべて離農しています。この小学校の開設期間が「1957年~1975年」であることから、ここでも同様の流れがあったものと推測されます。ところで私の卒業した区立小中学校はJR新宿までバスで15分という場所にありましたが、両方とも廃校になってしまいました。しかも卒業生に一言の連絡も無しにです。なんだか今でも信じられません..........文科省の**!2025.5.20
八丈島一周道路に沿ってあります。気にして走っていないと、普通に通り過ぎ、気が付きません。
| 名前 |
大賀郷小学校[永郷分教場跡] |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒100-1401 東京都八丈島, 八丈町, 大賀郷5463−1 |
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永郷分教場(えいごうぶんきょうじょう)は、大正6年(1917)に開校しました。昭和32年(1957)に閉校しました。校舎を八丈島ユースホステルとして一時期利用していました。当時の様子は、周囲に民家が無く輪行用の自転車で南の集落まで行かないと買い物ができませんでした。男性の管理人が1名いました。仕事は施設管理と受付のみでした。食事の提供は無く、インスタント麺等を持参して、用務員室で調理しました。運悪く宿泊2日目から低気圧により荒れ模様となり2日間は缶詰状態でした。雨が収まると、校庭から灯台と八丈小島を眺めていました。画像は昭和53年3月8日~11日の間に撮影しました。画像の自転車は当時ナショナルの最初に発売されたデモンタです。