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幼稚園の記憶、先生に叱られる、でも厳しいなかにも優しさがあった。登園拒否になったこともある。大人びた顔した園児がいる、うるさく意地悪なやつもいれば、物静かでやさしいやつもいる、今はどうだかわからないが、当時の幼稚園や小学校での人間関係って、けっこうシビアだった。オレンジ色の屋根の新しい二つの教室の拡張工事のあいだは、鑁阿寺内の園長宅が代わりの教室となる。可愛い顔をしていて女の子にまちがえられることもあった弟も、一時期、登園拒否になっていたのを記憶している。運動会は毎年、鑁阿寺の広場で行われ、それは甥っ子の時代も変わっていなかったが、園児も、観客の保護者も、当時と比較すると、驚くほど激減している。はじめの体操のときの音楽には、耳に懐かしい当時のままのものもあった。甥っ子を何度か迎えにいったことがあり、一度「おにいちゃんのほうだよね」と見覚えのある女性からいわれた。当時からいた山越先生である。先生、変わらないな。遠くから通う園児もいて、送り迎えの時間により、1号から4号まであり(同じ2台のバス)遠足のときにも乗った、赤バスと青バスも、当然だが、今はもうない。甥っ子の通うころは、まだ自分のときと同じ建物だったが、先日、通りすぎたら白を基調とした新しい施設に、見事に変身していた。時代により、変わるもの、変わらないもの、が学校にはある。