沖縄の海軍戦没者慰霊碑で歴史を学ぶ。
海軍戦没者慰霊之塔の特徴
旧海軍司令部壕と併せて、歴史を感じる場所です。
野村海軍大将による碑文が特徴的な慰霊塔です。
戦争の悲惨さと平和の大切さを深く感じました。
80年前沖縄は戦場だった陸軍だけでなく海軍も海上特攻した大和をはじめ、残っていた数少ない艦艇と陸戦隊も米軍と戦った。特に陸戦隊も司令官大田実少将はじめ多くの兵士が沖縄防衛のために戦い、命を落とした。
現地の海軍部隊に加え、戦艦大和以下の菊水作戦部隊参加将兵の慰霊碑でもあるんですね🙏戦前の阿部内閣の外務大臣であったはずの野村吉三郎謹書って、あるのでもしかしてとググると戦後も政治家で活躍されてたとはこういうところで新たな発見。
沖縄に行くたびに訪れています。年々整備され綺麗になっていきます。一部左翼の連中や反日活動家たちは沖縄を捨て石作戦などと呼びますが戦艦大和も出撃したし、特攻機も連日出撃しました。日本軍が精いっぱい戦った証は沖縄各所にあります。皆様にもぜひ見て頂きたいです。
2025年3月7日に訪問。海軍司令部壕のある丘の上にあります。沖縄戦で亡くなった海軍戦没者を慰霊する高い塔です。ここからは海を見ることができます。沖縄戦では米軍艦艇が海を埋め尽くしていたことでしょう。また脇には大田司令官が海軍次官へ送った「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報「仁愛の碑」があります。
日本側では約4,000人の犠牲者を出し、日本海軍の組織的戦闘が終結した場所です。海軍戦没者慰霊之塔戦没者の御霊を慰めるため建立。ここには当初、駆逐艦「卯月」のケッジアンカーが置かれていたが、昭和35年頃何者かに持ち去られてしまった。現在ある錨は「卯月」の錨が無くなった年、当時の横須賀地方総監から寄贈されたものだそう。
2024.7.7訪問です。海軍壕公園の中にあります。小高い丘の上まで、登ってくると、海軍戦没者慰霊之塔があります。この場所の地下には、旧海軍司令部壕があります。沖縄の街を見渡せる場所であり、上空を海軍の飛行場であった、那覇空港を離発着する飛行機が飛んでいます。いろいろ考えさせられる場所です。
昭和33年に沖縄海友会と海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立されたらしいです。
昭和33年、沖縄海友会ならびに海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立されました。平成20年10月に社団法人沖縄海友会(現一般社団法人沖縄海友会)により外観の補修工事が行われました。慰霊塔前広場からは、首里城や南部市街が見渡せます。
おきなわの、豊見城とみぐすくの、小禄の、大切なところです!平和を考えることとか、大切にしていきたいです!
| 名前 |
海軍戦没者慰霊之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
098-850-4055 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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糸満での戦争遺跡フィールドワークを終えて、豊見城にある海軍司令部壕へ移動🚗海軍司令部壕が保存されている丘には、「海軍戦歿者慰霊之塔」など、沖縄戦で亡くなった海軍戦没者の慰霊碑が建立されている。それらの慰霊碑のなかに、目を引く内容の碑があった。「仁愛之碑」である。その碑には、1945(昭和20)年6月6日夜に、沖縄方面海軍根拠地隊司令官・太田實少将が海軍次官宛に打電した内容が刻まれている。その内容は、沖縄戦下の住民の実情を伝えたものであった。文の最後は「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という言葉で締められており、司令官が沖縄戦下の県民の実情を実直に伝え、沖縄の将来を憂いているという、非常に稀有な内容のように思える。この打電ののち、6月13日に太田司令官は司令部壕内で自決した。この碑文がとても印象に残った。