喜屋武岬で感じる歴史の重み。
平和の塔の特徴
第62師団管下部隊の激戦地で、歴史を感じる場所です。
喜屋武岬に位置し、悲しく美しい景色が広がっています。
見事な眺望に加え、戦争の記憶を伝えています。
沖縄旅行の際に訪れました。海に面した高台にひっそりと建っています。道が整備されていないのが難点ですが南部戦跡を訪れる際にはぜひ行ってもらいたいと思います。この海が米軍の船で一杯になり、その艦船に向かってはるばる九州から若いパオロットの搭乗した特攻機が飛んできていたそうです。また、沖縄線終盤は南部のガマなどに避難していた民間人が海岸沿いを米軍の指示で投降するために歩いたそうです。そのようなことを思いながら海を見るとまたまた感慨ひとしおになります。
平和の塔近くで一部、車の対向が難しいところがあるので車の運転が不慣れな方は注意してください静かで景色の良いところ駐車場の所にはトイレも有ります。平和の塔に向かう途中で畑の間を通るのですが、畑の上から降りてくるときの景色が凄く良いです。
糸満市喜屋武岬にあった第62師団管下の部隊は、侵攻を続ける米軍に対して最後の迎撃を仕掛けたが、昭和20年6月20日、喜屋武集落周辺で全滅した。昭和27年10月、地元住民は集落や周辺海岸に散在する兵士や住民の遺骨1万柱余りを収集し、名城ビーチの西海岸に納め「平和の塔」を建立。昭和44年3月、沖縄協会の助成を得て現在の場所に移転・改修した。
行ってみたけど、結構暗かったです。朝日がめちゃ綺麗でした。
現地に立って、犠牲者の追い詰められた心境がわかったような気がします。合掌。
沖縄戦の歴史を忘れないために!また、平和の発信を未来の子供達に!何故か?側に地蔵さんが設置されてます。
「喜屋武岬園地」にある。「喜屋武」は「キャン」と発音する。両側にサトウキビ畑やススキがうっそうと茂る舗装道路を進むとある。県道からそこまでは、所々に案内版があるので、迷わないで着ける。駐車場は7枠くらいあるが敷地が広いのでもっと台数はいける。公衆トイレあり。この「平和の塔」は、先の大戦の中で沖縄戦で最後まで戦って、そして玉砕した日本軍部隊や、「戦斗に協力散華した沖縄住民(追い詰められて崖から身を投げた方も沢山おられたという)」の英霊を敬うもの。今の日本があるのも、一つはこうした沖縄での厳しい戦いと兵や住民たちの犠牲の上に築かれていると言える。誰もが「日本」を守りたかったのだろう。沖縄風の仕上げの建物と大きなレーダーのようなモノがあるが、どこが作った何か全く情報が表示されていないので、尚のこと怪しい。米軍だろうか自衛隊だろうか。
沖縄本島の最南端。そこへ行く道も以前より、かなり整備されられて、またトイレも完備しているので、ぜひ足を運んで、大自然を満喫してみてはどうですかね。
悲しくて美しい場所。ただし、かなりアクセスしにくい。だからか近くのひめゆりの塔ほど観光客もおらず、静かに祈ることが出来る。
名前 |
平和の塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-840-8111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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第六二師団管下部隊は喜屋武複廊陣地において摩文仁の第三二□司令部向け進攻を続け■■善戦空しく昭和二十年六月二十日玉砕せり昭和二十七年十月地元民は招聘並びに戦斗に協力散華せる住民の遺骨併せて一万柱を奉納し平和の塔を名付け■■このたび南方同胞援護会の助成を得て新たに塔を建て新たに塔を建てその遺烈を伝う。-碑文より-