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名前 |
二河の地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
雨乞いの人身御供となったお稲と茂吉が二河の八丈岩付近から川に身投げをした。その霊を弔うため松を植え夫婦松と呼ばれるくらい大きくなった。(詳細は 呉市西辰川2丁目の龍王神社クチコミに記載)その故事に関連してか、八丈岩付近に地蔵があった。しかし海軍の水道工事の為、この地蔵菩薩はここに移され『二河の地蔵』と呼ばれたのではないかと推測する。(詳細は 二河の八丈岩クチコミに記載)参考までにこの地蔵は日切地蔵(または日限地蔵とも書きひぎりじぞうと読む)と呼ばれ日本各地に存在し、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩。日切地蔵の由来は安土桃山時代までさかのぼり、蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(福島県会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがった。また呉市幸町2丁目にあった鎌倉時代からの神木『椿』を祭るものが『椿大神』としてある。