ひめゆりの塔近くで歴史を感じる。
沖縄陸軍病院第一外科壕(伊原第一外科壕 アブチラガマ)跡の特徴
戦時中の避難壕として、ひめゆり学徒隊が配置された歴史的な場所です。
アブチラ壕とも呼ばれ、砲弾直撃の痕を残す重要な史跡です。
ひめゆりの塔から徒歩圏内で、周辺を巡ると豊かな歴史を感じます。
一年ぶりに訪問しました。メイン道路をひめゆりの塔前から西へ200メートルくらい進むと南に入る小道に第一外科壕への案内看板があります。左に折れ少し進むとすぐ左手にこんもりとした森のような場所があります。道脇に小型車ならギリギリ一台止められる位のスペースがあります。昨年は一人で訪れて、その佇まいに威圧され階段をいちばん下まで降りられませんでした。今年は二人で訪れましたが、、やはり足が途中で止まってしまいました。遊び半分で来た者を寄せ付けないような雰囲気です。戦中はこう言った場所で多くの方が苦しみ、戦っておられたのですね。雨上がりで水の香りと鳥のさえずりで厳かな雰囲気でした。観光地でもあるひめゆりの塔(第3外科壕)と比べるとあまり知られておらず、場所も判りにくい為見に来られる人も少ないですが、時間に少し余裕があればぜひ一度訪れて欲しい場所です。
戦時中の避難壕で戦争末期は病院壕としてひめゆり学徒隊も配属されていたそうです。ひめゆりの塔がある第三外科壕と異なりひっそりしていて人が訪れることはほとんどなさそうです。
ひめゆりの塔をバスで訪れました。帰りのバスを探しましたが次のバスまで30分程度時間があったため歩きで数分で行ける場所を探していてこの場所を訪れました。最新の口コミより植物が繁茂していて一見どこなのか分からず、また階段も周りの植物で見つけられませんでした。
アブチラ壕とも呼ばれひめゆり学徒隊も避難していましたが、この壕の入口付近に砲弾が直撃し、翌日には解散命令が伝えられました。
ひめゆりの塔から徒歩で行けます。他の方々のコメントにもありましたが、一人では到底下には降りられません。土足で踏み入ってはいけないような雰囲気さえありました。この狭くて暗い壕の中に何百人という方々の、罪なき命が眠っています。
南風原壕群20壕、伊原第一外科壕、第二外科壕(糸洲第二外科壕)、伊原第三外科壕、山城本部壕、喜屋武岬、荒崎海岸を回り心から手を合わせました。
ひめゆりの塔が建っている場所は井原第三外科壕、ここは第一外科壕です。訪れる人は少ないようです。
なぜひめゆりの塔ばかりが慰霊されるのか。こんなに近いここは荒れ放題。何がどう違うのか教えてくれ。
ひめゆりの塔は伊原第三外科壕。という事は、第一と第二もある筈だ。第二外科壕は糸洲にあり、今は埋められ碑だけあるらしい。残る第一外科壕はひめゆりの塔より、国道331号を200M程西へ。更に小路を海方向に行くと、砂糖黍畑なかにそのガマがある。アチら(第三)とコチら(第一)で随分な温度差があるよなぁ…。観光客向けの整備は余りされてはいないのだが、かえって戦争遺跡の感じはした。
名前 |
沖縄陸軍病院第一外科壕(伊原第一外科壕 アブチラガマ)跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-997-2100 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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ひめゆりの塔からすぐ近くなのでここにも足を運ぶべき。ひっそりとしている。