魂魄の塔で感じる沖縄の歴史。
魂魄の塔の特徴
魂魄の塔は沖縄戦の激戦地にあり、数多くの遺骨を祀っています。
各都道府県の犠牲者を祀る碑があり、戦争の歴史を感じさせる場所です。
綺麗に清掃されており、ひめゆりの塔の近くで静かな雰囲気があります。
沖縄戦の激戦地で戦後に収骨した35,000人の遺骨がおさめられたそうです。いまはサーファーの駐車スペースになってました。
行って初めて知ったのは、各都道府県毎に先の大戦の沖縄戦での犠牲者を祀る碑が存在すると言う事。これは送られた軍の部隊は基本的に各都道府県から編成されているからだろう。合掌。
ここは沖縄戦最後の激戦地であり、日本軍も住民も米軍に追い詰められて逃げ場を失い、陸海空からの激しい攻撃を受け命を落とした人は数多い。敗戦直後、米須地区に移転収容された旧真和志村(現在の那覇市)の住民が米軍の許可を得て遺骨収集班を結成、道路や畑、丘、森に散っていた遺骨を集め魂魄の塔を建立した。合祀柱数3万5000は沖縄では最大の慰霊塔にあたるが、昭和54年2月摩文仁が丘に完成した国立沖縄戦没者墓苑にその大部分は転骨された。なお、塔は終戦直後の石積みで素手造りであり崩れる恐れがあったため平成元年補修され、あわせて碑文の刻板が設置された。塔の裏側にはにぎたまと なりてしづもる おくつきの み床の上を わたる潮風と刻まれている。
この場所も琉球あぎじゃびさんがYouTubeで紹介されてました。沖縄での戦いが終わり、アメリカの支配下になったことでお骨を拾う事、弔う事が許されなかったそうですが県民の皆さんがアメリカにお願いし、お骨を拾い慰霊碑を建てた場所との事。どんな思いだったのでしょうか?想像も出来ません。魂魄の塔に埋葬されたお骨は全て移され丁重に弔われているとのこと。そして、この辺りには多くの慰霊碑がありました。日本国内の方々、韓国、中国の方々のものもありました。沖縄は祈りの地。魂魄の塔で平和を祈り、そして亡くなられた方々がもう一度生まれて、同じお父さん、お母さんに巡り会えますように。そういえば、献花をしたかったのですがお花の販売がやってなかったので手を合わせただけになってしまいました。
こういった戦争犠牲者の慰霊碑を大事にしなくてはと感じさせられます。
魂魄の塔(こんぱく)と読みます。戦後昭和21年1月、真和志村村長の金城和信(きんじょうわしん)が地域住民の協力によって道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの魂魄の塔とあります。金城和信の碑文と胸像が魂魄の塔すぐ隣にあります。
戦時下供養いれ普通に飾り立奉りまあ慰霊の塔は歩いてる。
こんな場所があるなんて。那覇の飛行場より南側は戦争のイメージが強いです。沖縄に来ても南側はなかなか行かないのですが、近年開発が進み新しくなってる場所でもあります。そんな南に、サーフィン🏄♀️が出来る場所があります。サーフィンのイメージとは正反対に各都道府県、世界各国が立てた慰霊碑がそれぞれの区画に立っています。楽しい南の国のイメージとは違いますが、歴史を知った上で沖縄を楽しむ事って大切だなと思った場所です。
魂魄の塔は戦後の沖縄で最初に建立された慰霊碑です。合祀者3万5千人で、県内最大の慰霊塔です。戦後、付近住民を中心に沖縄戦犠牲者の遺骨収容が始まり、収骨された遺骨がこの場所に集められ葬られました。魂魄の塔の周囲には、北霊碑(北海道)、大和の塔(奈良)、大分の塔、紀乃國乃塔(和歌山)、ひろしまの塔、讃岐の塔(香川)、島根の塔などの慰霊碑が建立されています。また近くに沖縄菩提樹苑、有川中将以下将兵自決の壕の碑があります。
名前 |
魂魄の塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-997-2765 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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駐車場はサーファーでよく使われるよう。塔に来ているのは私だけなのに駐車場にはそこそこ車が止まっていました。塔はよく管理されていました。