沖縄戦の学徒隊に想いを。
全学徒隊の碑の特徴
沖縄県内には21の学徒隊があり、多様な歴史が感じられる碑です。
ひめゆり学徒隊と同様に、若い命の重みを伝える場所です。
学生たちの奮闘を記憶するための重要な史跡として訪れる価値があります。
警惕與追思之地。
先祖の若い方々が、御国のために身を捧げて守っていただいたことに感謝しないといけないと思いました。
戦前、沖縄には 21の師範学校・中等学校がありました。沖縄戦では、これらすべての学校の生徒たちが戦場に動員されました。男子学徒は主に 14歳から19歳で、上級生が「鉄血勤皇隊」に、下級生が「通信隊」に編成されました。鉄血勤皇隊は、軍の物資運搬や爆撃で破壊された橋の補修などにあたり、通信隊は、爆撃で切断された電話線の修復、電報の配達などの任務に従事しました。女子学徒は主に 15歳から 19歳で、陸軍病院や野戦病院などで負傷兵の看護活動にあたりました。激しい戦火の中、多くの生徒が犠牲になりました。このことを広く伝え、世界の恒久平和を願い、ここに全学徒隊の碑を建立します。2017年 3月-碑文より-
あらためて沖縄戦で亡くなられた全ての方々に対し、御霊安らかなれと静かに手を合わせていただきました。
当時のことを考えると何とも言えないです。
お国のためにと奪われた若い命。したいこともあったでしょう。夢もあったでしょう。コロナで外出できない学徒と同世代の方々、沖縄戦について学んでほしいです。
沖縄戦に於いて動員された学徒隊の数は21校に上ります。年々同窓生や遺族の高齢化により、慰霊祭の開催が少なくなっていく中で」学徒隊を忘れないで」という想いが叶い、平成29(2017)年3月14日に除幕されました。
ひめゆり学徒隊ばかりが有名ですが、沖縄県内に21の学徒隊があり、同じく、悲惨な戦況の中、お国のために尽くされました。この碑は2017年3月14日に除幕されました。追悼されるべき方たちです。
今でいう中学生、高校生が学校ごとに部隊編成を行なったという碑です。「沖縄決戦」という映画でも取り上げられています。
| 名前 |
全学徒隊の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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80年前沖縄は戦場だった沖縄戦では、守備軍は、兵力不足を補うため地元から約2万5000人の住民を「防衛隊」「義勇隊」として動員し、戦場に投入した。それでも足りずに、 県下の男女中等学校の生徒たちまで駆り出した。いずれも、まったく法的な裏付けのない動員だった(男子15〜60歳まで、女子17〜40歳までを、徴兵とは別に戦闘員として召集できる「国民義勇兵役法」が公布されたのは、45年6月22 日だった)。男女中等学校の生徒たち(14歳から17 歳)は、男子生徒は学校ごとに「鉄血勤皇隊」を組織し、女子生徒たちは即席の訓練を受けただけで看護婦要員として各地の野戦病院に送られた。男子生徒たちは、下級生(ほぼ現在の中学生)は通通信隊員として、上級生(現在の高校生)は陣地構築、食糧や弾薬の運搬、伝令、南部に撤退してからは特攻斬り込み兵として戦闘にも参加した。女子生徒たちは、各軍病院にはいちされ、砲弾が降り注ぐ中での飯上げ(炊事)、水汲みなど、不眠不休で働いた。しかも、戦場を軍と共に行動していたため、銃弾に倒れるものも少なくなかった。6月18日に解散を命じられ、逃げ場を失った多くが艦砲の砲弾や南下してくる米兵の銃弾に倒れたり、「集団自決」(集団強制死)をするなどして多くの犠牲者を出した。学徒隊への参加は、法的根拠がなかったために、生徒の「志願」という形がとられたが、 実際は強制参加と変わることはなかった。