福山の歴史散策、山田渡邊氏の居城跡。
一乗山城跡の特徴
遊歩道が整備され、遺構を見やすい環境が整っています。
背後には連続堀切があり、歴史の深さを感じられるスポットです。
常国寺には足利義昭のゆかりの品があり、訪問価値が高いです。
背後の連続堀切がスゴい トコ👍️説明板🪧が貯水池の隅のダム入口と常国寺をすぎた登り口に建ってた獣フェンスを開けて登ると神社の横に案内標柱が建ってたさらにコンクリで固めた登り道が続くと竪堀♪に堀切♪さらに奥には畝状竪堀群♬チョイヤブ北側には縦井戸や横井戸がある崩れた石垣♪が見れた腰郭には休憩所主郭には 本丸跡の石碑に背後に下部だけ石積みの土塁♪そして奥には連続堀切♬🙌モチロン両サイドに畝状竪堀群♬周りをウネタテで囲まれてるけど 遊歩道が作られて ちょっぴり遺構が削られてる...って、そのおかげで楽にウネタテが見れました🙇♂️ちなみに常国寺には足利義昭サンのゆかりのモノがあるとか😮標高210m、お寺の駐車場🅿️の標高138m
平安時代の武将渡邊綱の末裔山田渡邊氏五代が居城とした山城で福山市指定史跡です城跡の遺構が確認しやすい初冬から初春に訪れた方が虫や獣に注意しなくて済みますよ。
山田渡辺氏の居城跡。郭や堀切がよく残っています。常国寺前の駐車場から歩いて少しなので見学しやすいです。猪対策の柵があるので閉め忘れに注意。
◎名門「渡辺氏」が要害の地に築いた戦国時代の山城跡◎概要⚫︎毛利配下の武家「渡辺氏」の居城。⚫︎城を拠点に渡辺氏5代が熊野一帯の支配。⚫︎将軍「足利義昭」が身を寄せた歴史ある城。⚫︎初代「渡辺兼」が築城し、5代目「渡辺景」が関ヶ原の合戦で敗れ廃城。⚫︎歴代城主: 初代「渡辺兼」→ 房 → 高 → 元 → 景までの5代⚫︎隣接の常国寺は初代城主「渡辺兼」が建立。◎城跡の現状⚫︎アクセス: 常国寺から更に奥へ進めば到着。⚫︎「福山市史跡」認定の現地看板あり。⚫︎入口に猪防止柵があり、自分で針金を外して入ります。針金の場所が分かりにくいので注意。⚫︎城跡に通じる道は舗装され管理されてます。⚫︎城跡にある神社のような建物は「日蓮宗七面堂」で仏教守護神「功徳天」を祀ったもの。城の鎮守として渡辺兼が勧請したものと伝わる。現在管理は常国寺がしているようです。⚫︎城跡には曲輪の跡があるのみ。⚫︎七面堂から山頂に続く見事な苔道は見所です。⚫︎山頂には「本丸趾」と書かれた石柱がある。⚫︎木が鬱蒼と茂り眺望のよい場所がなく,ピクニック気分でお弁当という場所ではない。◎渡辺氏って何者?⚫︎嵯峨天皇を祖先とする名門「嵯峨源氏」の家柄。⚫︎先祖の有名人: 源融(とおる)、渡辺綱⚫︎源融(とおる): 源氏物語主人公「光源氏」の実在モデルといわれる人。⚫︎渡辺綱: 平安時代最強伝説の凄腕の武者。日本の元祖ゴーストバスター。鬼のボスキャラ「酒呑童子」の首を切り、羅生門に巣食う悪鬼の腕を切り落とすなど武勇伝満載の漢。◎一乗山城時代の渡辺氏⚫︎1400年代後半,渡辺兼が毛利元就から山田荘(現在の熊野一帯)を拝領し城を築く。⚫︎渡辺兼:日蓮宗の名僧「日親上人」を招き常国寺を建立。真宗寺院に対抗する為,領内の民衆・寺院に日蓮宗を強制。⚫︎4代目渡辺元:将軍「足利義昭」より鞆幕府に対し格別の貢献ありとされ守護大名と同格扱いとなる。⚫︎5代目渡辺景:関ヶ原で敗れこの地は福島正則領となり廃城。景は僧侶となり各地を流浪。後に福山へ帰り「通安寺」の住職になったとの伝あり。
名前 |
一乗山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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遺構が色々とあり、歩いていて楽しかったです。お勧めできる山城です。