閑静な住宅地の古墳。
阿保親王塚古墳の特徴
阿保親王塚古墳は、東側から方形の濠を確認可能です。
芦屋親王塚町の由来となる歴史的な場所です。
阿保親王の父のお墓であり、3つ存在することが知られています。
第51代平城天皇の皇子で歌人としても有名な在原業平の父でもある阿保親王(792~842年)の墓所とされるところです。古墳は宮内庁の管轄になっており、立ち入ることはできません。古墳は古墳時代前期の4世紀に築造されたものですが、阿保親王がお亡くなりになったのは築造から500年前後経過してからなので、元々あった円墳が墓所に再利用されたものと考えられています。芦屋の静かな住宅街に皇族の古墳があることに驚きました。
看板に方形の濠に囲まれているとあったので探してみたところ、東側から確認できました。
阿保親王塚古墳の西南角の交差点からは入れないので、山手幹線道路から東に行きすぎて信号の無い三叉路から入り親王塚の前道路へ。止めてよいかは不明ですが翠ヶ丘集会所の西隣に集会所の駐車場があります。宮内庁の管理なのでキレイに整備されています。
閑静な住宅地にあります。
山手幹線沿いにある古墳です。
業平の父のお墓です。宮内庁管理とあるので厳かなものに見えます。
芦屋の親王塚町という地名の由来ともなっている。航空写真では樹木に覆われた方形の区画があるのみで、陵墓の姿は全く見て取れない。阿保親王は在原業平(同じく芦屋の業平町、業平橋の由来になっている)の父であり九世紀に亡くなっているから、実際の築造年代(出土物などから四世紀と推定)とは大きな隔たりがある。阿保親王の子孫を称する長州の毛利氏が「これは我らが先祖の墓」と強弁して古代の墳墓を拝借した、というのが真相のようだ。ちなみに古事記や日本書記に記載される古代皇族にも阿保親王なる人物(垂仁天皇の皇子・息速別命)が居るらしいが陵墓は伊賀に有るとのこと。
阿保親王墓は、3つ存在するらしいです❗️🤔芦屋の親王墓は、文献によると阿保親王が死去される500年前に建てられたとも言われています❗️🤔本格的な発掘調査をして貰いたいです❗️👍
| 名前 |
阿保親王塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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昔岩園幼稚園の時に中に入ってどんぐりを拾ったことがある。(もちろん幼稚園が許可をとって)普通では入れなかったのでなにか新鮮な気持ちがした。もう40年も前だが。