高天神社下の歴史の曲輪。
高天神城 二の丸跡の特徴
高天神社近くの井戸曲輪に位置する遺跡です。
徳川家康が支配していた歴史的な場所です。
小笠原長忠により築かれた名城の一部です。
高天神城のどの辺りが二の丸だったのかがわかりませんでした。
徳川家康支配下にあり小笠原長忠が城主であったころの高天神城にあって本間八郎三郎氏清が守将として守っていた曲輪。周囲を断崖絶壁に囲まれている高天神城で唯一崖の斜度が緩やかな箇所にあるため、難攻不落な高天神城の弱点とも言える場所である。武田勝頼が高天神城を攻めた際には武田二十四将の穴山梅雪隊がこの箇所を攻め、武田信玄でも落とすことが出来なかった高天神城を攻略している(武田勝頼は高天神城の弱点を補完するため攻略後この曲輪下に武田流空堀を設けた)。武田勝頼との戦いで討ち死にした本間八郎三郎氏清と、その弟丸尾修理亮義清の墓が本間の末裔本間惣兵衛によって江戸時代(元文年間)に建立されている。
名前 |
高天神城 二の丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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高天神社の下、井戸曲輪にある道標に従って北へ向かうとある、小広い曲輪跡です。案内板と標柱がありました。