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名前 |
雁屋濱跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
江戸時代末期からこの付近に船着場がありました。当時の南野村で収穫された年貢米を貯蔵する郷蔵が四棟あり、川舟に荷積みされ、寝屋川を下り、大阪までの間を往来していました。明治時代には、生駒山地の室池の天然氷も一部ここから輸送されました。ここから南に約400メートルに亘り井路(いじ)と呼ばれる人工水路が設けられ、今の深北緑地にある五軒堀川の堰から水が引かれたそうです。五軒堀川から深野池に入り、寝屋川に合流していました。雁屋濱の棟梁は勘右衛門、勘三郎を襲名し「雁勘」と呼ばれ親しまれていました。この石碑は雁勘の子孫により平成14年に建立されたものです。雁屋濱は昭和9年の室戸台風で被害を受け、貨物輸送の主役をトラック運送に譲ることになります。南野村の輸送拠点として、当時盛んだった寝屋川舟運の一端を担った場所です。