四條畷で楠木正行公に敬意を。
小楠公御墓所の特徴
楠木正行公の墓所がある歴史的な場所です。
樹齢約550年の古木が立ち並び、心が落ち着く散歩コースです。
四條畷神社とも連携した訪問に最適なスポットです。
小楠公御墓所(しょうなんこうごぼしょ)は、大阪府四條畷市にある南北朝時代の南朝の将、楠木正行の墓。楠 正行(くすのき まさつら)は、南北朝時代、南朝の後村上天皇に仕えた武将。楠木氏棟梁。正成嫡男で、正時・正儀の兄。南朝左衛門尉・河内守・河内国守護・帯刀舎人。贈従二位。父の正成や末弟の正儀と並ぶ、南北朝期の代表的名将。「大楠公」正成に対し小楠公(しょうなんこう)と尊称される。河内国讃良郡野崎(大阪府大東市野崎)から北四条(同市北条)で発生した四條畷の戦いにおいて、幕府の総力に近い兵を動員した高師直と戦い、一時は師直を本陣である野崎から後退させるなど優位に立つも、追った先の北四条で力尽き、弟の正時や従兄弟の和田新発を含めた26人の将校と共に戦死した。
四條畷神社から一直線ですが商店街は神社方面へ一方通行の為、回って郵便局先の駐車場に停めて少し戻ります30分100説明板に拠ると正平3年1月(西暦1348年2月)に高師直率いる北朝の大軍の前に楠木正行とその一党は討死、小さな石碑が建てられその約100年後に何人かが楠を近くに二本植え石碑を覆う樹齢約550年の古木になったとかまた大久保利通揮毫の碑が有り手前に管理所らしき建物があり宝塚の題材にした歌劇のポスターが貼ってありました。wiki等見ると父楠木正成の遺志を継いだ忠臣という一面だけでなく、確かに連戦連勝細川顕氏・山名時氏といった有力武将を退ける等京都の北朝側には不可思議な脅威と写っていましたが、和平派だった可能性もあり四條畷の合戦にしても玉砕覚悟でなくある程度の勝算があった?それ以上に高師直の軍勢の数だけでなく戦術が上回っていた?後醍醐天皇の政策もそれ程現実離れしたものでもないと見直されてますが戦前大いに称賛され昭和の内は色々整備された感じですが最近は?商店街のインディープロレスのポスターが目に付きました。
散歩コースにあって落ち着く所です。神社迄一本道で鳥居も綺麗になり散歩が楽しみです。
四条畷神社とワンセットです。入り口に立って、東側、JR学研都市線の踏切側に向かってまっすぐ道が伸びています。その道の約1キロメートル先が、四條畷神社、背後の山は、生駒山系の河内飯盛山(かわちいいもりやま)です。楠木正行(くすのきまさつら)公墓所は、楠木正行がその場所で戦死をした時、村人が石碑を建て、両脇に楠を植えました。その両側の楠は石碑を包み込んで合体し大楠となって、樹齢600年、現在も生き生きと葉を繁らせています。楠木正行については、戦前教育を受けた人は誰もが知っている、楠木正成、楠木正行親子の桜井の別れがあります。また、楠木正行には恋人、弁内侍との別れの話も現代に伝わっています。 戦国時代という異常に不安定な時代に、愛する人たちとの絆を大事にした、ということを再認識します。
楠公寺に行く前に、正行墓所にお参り。栄通りから行ってしまって、入口を探して墓所を一周しました。
楠木正成公の嫡男である楠木正行公を祀る墓所になります。南北朝時代の戦乱の中で、父である正成亡き後もその遺志を継ぎ南朝に武士として仕え、戦乱の時代の武将として若くして四條畷の戦いで討ち死にした武将の墓所です。楠木正行の遺骸はこの地に葬られ、80年後に墓石脇に植栽された楠二本は現在も残り(樹齢700年以上?)墓石を包みこんでいるといるということです。現在は社の奥に大きな墓石が建っていますが、明治11(1878)年に建立されたもので揮毫は大久保利通により「贈従三位楠正行朝臣之墓」の銘が刻まれています。墓所建立当初はそれほど広い敷地ではありませんでしたが、その後明治いなって楠木家の再評価などにより現在の敷地よりやや広めに拡幅整備され、その後太平洋戦争や土地区画整理(改良工事)などを経て、現在の広さになったということです。なお、墓所の右脇の広場には、楠木正成公の妻、楠木正行公の母、楠木久子(滋子)様の顕彰碑(明治35(1902)年2月)があります。顕彰碑建立にあたっては、元大阪府知事西村捨三氏婦人、菊池大阪府知事夫人等の發企により、篆額は細川潤次郎、撰文は下田歌子が作成しています。詳しくは「別格官幣社四條畷神社 殉節所誌」(「国立国会図書館デジタルコレクション」で閲覧可能。)墓所から線路を越えて1Kmほどゆるやかな坂を歩きますと、四條畷神社に到着します。(ゆるやかな坂ですが、神社の境内までは急になります)毎年3月には「四條畷 楠木公祭り」が開催され、武者行列、稚児行列や祭囃子保存会による勝ちどき太鼓などを見ることができます。
JR四条畷駅の駅前にある楠木正行公の墓所です。墓所の大きな楠が目を引きます。地元の人が整備されているようです。正行は、南北朝時代に、四条畷の戦いで北朝の武将高師直などに敗れ、戦死しました。また、ここから東に向かい飯盛山の麓に明治時代に正行を祀る四条畷神社が創建されています。
名前 |
小楠公御墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-876-1247 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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楠正行公のご墓所。樹齢650年~700年の大楠があります。毎月12日は、正行公の命日です。是非、お参りくださいませ。