糸徳製糸場でつながる歴史。
小渕志ち像の特徴
二川に糸徳製糸場を創業し、製糸業を支えた場所です。
小渕志ちの業績が深く根付いた歴史を感じられます。
蚕都としての顔を持つ、この史跡の重要性を実感できます。
二川に糸徳製糸場を創業し、製糸業の発展に貢献した人物。初代の像は戦時中に金属供出されたのですけど、昭和61年(1986年)に元工員たちの手によって再建されました。
小渕志ち!生糸の歴史です!家🏠でもお蚕様でした!
玉糸製糸の創始者。 志ちは、弘化4年(1847))群馬県の貧しい農家に生まれ、幼いころから母親に繰り糸の紡ぎ方を習い、1879年(明治12)故郷を離れて二川に移り住んだ。 そして、1885年(明治18)二川の隣村大岩で製糸工場(糸徳工場)を創業。 利用価値が少なく、ゴミのように捨てられていた玉繭から糸を紡ぐ製糸法を開発し、1892年(明治25)に玉糸製糸の商品化に成功した。昭和4年(1929)、82才で没。豊橋は「玉糸王国」と呼ばれるまでに発展し、輸出が盛んとなり、乾繭取引所が豊橋に置かれるようになったという。
名前 |
小渕志ち像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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蚕都という顔。もうひとつは、軍都という顔の2つが大きく影響を与えた時代でした。