津山城の森忠政公銅像。
森忠政公銅像の特徴
森忠政公は織田信長の小姓、森蘭丸の弟でもあります。
津山城の表門入口にある衣冠束帯の姿が特徴的です。
津山藩初代藩主である森忠政公の銅像が見られます。
幼名を千丸。元亀元年、美濃(岐阜県)金山城に生まれる。京都本能寺の変で、織田信長を守護し、悲運の最期を遂げた森蘭丸の弟。天正一二年(一五八四)兄長可(ながよし)の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山七万石を与えられる。のち徳川家康に仕え、慶長五年(一六〇〇)信濃(長野県)川中島一三万七〇〇〇石を領す。同八年美作国一円一八万六五〇〇石を与えられ津山に入封。翌九年より津山城の築城に着手、また城下の街づくりを始め、現在の津山の基をなした。寛永一一年(一六三四)三代将軍家光に随伴して津山より上京するが、食傷により急死す。享年六五歳。なお、この像は津山市小田中、森家の菩提寺本源寺にある木像を基としたものである。
津山城跡内にある森忠政公の銅像です。あの蘭丸さんの弟だったり長可さんの身内だったりと、割と有名どころがそろってますね。
(森忠政公銅像)は津山城表門入口に衣冠束帯の座姿にてお出ましです。森忠政公は慶長8年(1603年) 31歳で美作国18万6500石の領主として津山に入封されそれから34年間、初代津山藩主として藩の礎を築き、享年65歳でご逝去になられました。(合掌)銅像のモデルは津山市の森家の菩提寺の本源寺に奉納の森忠政氏の木像が原型になっていると案内板の最後に紹介されています。実際の当時の政(まつりごと)は厳しくて銅像のようなふくよかなお姿であったとは実際に想像もつきませんが、ふくよかさは人徳の表す表現でありますから納得です。
美作津山藩初代藩主森忠政公の像。津山城を築城したのもこの森忠政。森忠政は信長家臣の森可成(浅井・朝倉との戦で戦死)の末子(6男)であるが長男は朝倉との戦で戦死、次男は小牧・長久手の戦いで戦死、三男は有名な蘭丸で本能寺の変で戦死、四・五男も蘭丸とともに本能寺で戦死と兄が全滅したため家督を相続した。その後、美濃金山→信濃川中島→美作津山と領地は移り変わった。津山藩における森家は元禄の頃、5代目で終わりその後は松平家が藩主となる。森家は紆余曲折の末、赤穂藩主として廃藩置県を迎える。
津山森藩初代藩主であり、織田信長の小姓森蘭丸の弟。
忠政公石垣へのこだわり半端ないっす。
津山藩初代藩主の銅像。津山城跡の入り口に建っている。現在津山城が建つ地名を鶴山から津山に変えた人物でもある。
| 名前 |
森忠政公銅像 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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津山城を築城した森忠政公の銅像。