京都市宿泊税で生まれたトイレ。
円山公園弁天堂前公衆トイレの特徴
京都市の宿泊税で作られた公衆トイレです。
円山公園弁天堂前に位置して便利です。
清潔感があり訪問者に好評です。
男性用と女性用、立小便器用に分かれた狭いトイレです。変わった見た目ですが、綺麗でトイレットペーパーも設置されています。
Cuuuki
21年12月27日に訪れました。「円山公園弁天堂前公衆トイレ」といいます。岩に覆われたような公衆トイレです。外観が面白いです。中は普通のトイレです。
京都市の宿泊税を使って作られたそうです。風景に溶け込んでるデザインということでしょうか。きれいにお掃除されています。男女が分かれている表記になっていますが、入り口は同じです。
| 名前 |
円山公園弁天堂前公衆トイレ |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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写真の撮影日時は2025.12.01(月)13:00。なんと言うか京都らしい公衆トイレである。ここは円山公園内にあるが、山としての“東山”の山裾にある。円山公園といっても敷地は広大で場所によって様々な顔を持っている。そして、東山の山頂には青蓮院門跡が管理する将軍塚などがある。“将軍”とは日本初の征夷大将軍だった坂ノ上田村麻呂公のことで、田村麻呂公の屋敷は現在の清水寺あたりにあった。田村麻呂公というとアテルイなどを征伐し猛々しいイメージがあるが、どうやら猛々しいだけではないらしい。というのも清水寺は坂ノ上田村麻呂公がその屋敷を寄進したことに端を発するが、田村麻呂公が屋敷を手放してでも叶えたかった願目は妻の当病平癒だった。そして、父帝第50代桓武天皇より予々カネガネその武勇を聞いていたであろう親王(諱・神野、後の第52代嵯峨天皇)は田村麻呂の没(弘仁2辛卯歳(811).05.23*(05.23は旧暦))後、田村麻呂公に似せた塑像を造らせ、その塑像に甲冑を付けさせ帯刀させて御所の方角に向くように“起立したまま”清め塩などと共に埋葬し供養した。これが所謂将軍塚の実相である。そしてこの御塚は嘗て二度鳴動したという。鳴動というのは都に危機を伝える為に天変地異(激しい雷鳴、地震など)を起こすと信じられ、実際に鳴動したときは源頼朝が伊豆方面で挙兵したときだったという。そして間もなく平氏が滅亡し、朝廷は京に残ったものの鎌倉幕府が成立した。朝廷を補佐する者の頂点は関白職であるが(摂政は上皇、法皇、または稀に親王などが行った)、摂政として有名なのは第33代推古天皇の甥とされる聖徳太子であろう。最近では第123代大正天皇を補佐した124代昭和天皇である。当時関白職という職名はなかったが冠位十二階などにより人臣の頂点を極めた者の最初は恐らく中臣鎌足(のちの藤原氏祖)、次いで平清盛であろう。ところが最近の日本史の定番となった“1192いい(良い)国”ではなく1185年(文治または寿永4)に源頼朝が各地に守護・地頭職を設置して鎌倉幕府が始まる。つまり、政治(天皇が行うまつりごと)の補佐が公家から武士にシフトした。この文治元年は昨年2025年でちょうど840年となり、十干十二支は乙巳、キノトミであった。よく還暦というが、60年に一度十干十二支が還る、が 14 回繰り返したことになる。そして文治(改元前は寿永)あたりも日本史に激しい動きがあった。余談が長いが、こちらの公衆トイレの最寄り駅というと恐らく京都市営地下鉄東山駅だが、東山駅からこちらの公衆トイレは少々距離がある。例えば京都市バス祇園停留所または京阪電鉄祇園四条駅から平安神宮脇の円山公園入口(祇園石段下)からアプローチするか、大谷祖廟からアプローチするという方法もあるかと思う。因みに円山とは圓山と表記し、その名前の由来は過去に天台座主を四度務めたという関白九条兼実の実弟の法名“慈圓”に由来する。九条兼実の代表的著作は『愚管抄』である。兄弟共々京に影響を及ぼした人物のうちである。合掌。