歴史感じる船形山城址。
船形山城跡の特徴
葦毛湿原から豊橋自然歩道を通り、城跡へ登る約50分のハイキングコースが魅力です。
今川氏の武将、多米又三郎が築いた歴史ある城跡で、遺構を楽しむことができます。
鉄塔がドーンと立つ中にある曲輪は、城の形をかろうじて感じられるスポットです。
葦毛湿原バス停~約50分ハイキングコースが整備されていてハイカー多い。三河と遠州国境の城跡。座談山を越えると3つ堀切あり。薄いけど堀切でしょう。ハイキング道に沿って段曲輪群が連なるそして、鉄塔がありここが主郭、城跡解説板あり。主郭は土橋囲み。主郭下に腰曲輪と竪堀。背後に堀切土橋。普門寺峠で自然歩道を西へ下山し、赤岩城跡へ向かった。下山道は歩きやすかったです。馬《●▲●》助ヒヒーン♪
豊橋駅から赤岩口行きのバスで葦毛湿原バス停に向かい、そこから豊橋自然歩道を進み登城。小規模の城郭で物見で利用されていたとのことですが本丸跡には土塁がしっかり残り、その周りに空堀が確認できました。送電用鉄塔が立ち木立に囲まれた場所でしたが、そこから少し尾根を下ると浜名湖を眼下にする絶景が広がる景勝地です。
1520年代だったか戦乱地になってて、お寺も焼かれたとかこんなとこで?思いましたが当時「火打坂」が無かったんですわ江戸期の宿場町の形成とセットでしたんでなので、東西の往来はどうしてもココを通るってそら要衝ですわね。
跡地には鉄塔がドーンと立っていてその横を通り抜けるように登山道があります。
所謂、境目の城であり、鎌倉街道を抑える交通の要衝でもありました。こうした背景から今川、徳川、武田の争奪戦にあい何度か落城の憂き目に会い、その際、城の南東斜面にあった山岳寺院であった普門寺も焼失後しています。かろじて土塁の跡と堀切が残っており、当時に思いを馳せることができました。
1490年〜1500年頃に今川氏の武将、多米又三郎が築いた城。山頂周辺に堀切も残存おり登山道も堀切を横切るのでわかりやすいです。標高は276m。こんな場所に城を作るのも大変だし、常駐して守るのはもっと大変だったろうな…
元堂跡の反対側、左の道を行くとNHKの鉄塔があり、そこが船形山城址です。道はよく整備されていました。
遺構が楽しめました。
西側の曲輪の方が遺構が分かりやすい。東側の曲輪に城趾碑がありますが、鉄塔で遺構が破壊されていて見所はなし。
名前 |
船形山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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葦毛湿原に訪れたが物足りかかったので、ここまで歩いてきた山城の跡地らしい。