中原街道散策で感じる清々しさ。
中原街道(案内板)の特徴
清々しい道を歩きながらの散歩は心地よいです。
のどかな風景が広がり、心が和みます。
見渡す限りの開放感が楽しめる歴史的な場所です。
すっと道が拓けてる感じで清々しいです。立て看板見るまで何の場所か分かりませんでしたけれど💦笑。
ちょっと、散歩しました(^-^)
まぁ、のどかです。
| 名前 |
中原街道(案内板) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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徳川家康が江戸城と駿府、江戸城と現在の平塚市立中原小学校が建つ地にあった、鷹狩り等で利用した中原御殿の往復で使った中原街道の旧道。この中原街道、一部は古代東海道であったりと古代から使われていたりもしていて、この看板の向かって右手の丘陵上には古墳と倍墳があったりもする。因みに家康の江戸入府の際に利用したのも中原街道で東海道ではない。当時(戦国時代末期から江戸時代初期)の東海道はまだまだ整備されておらず、日比谷は入江だし、高輪の高輪台下も湿地、多摩川河口も往古の暴れ川の様相を保っていたため、人が往来に使うことは出来なかった。なので家康にとっては東海道より好んで使っていたというよりも、この中原街道を使わざるおえなかったはず。この中原街道は旧道で、現在は寒川駅の東側を通る道が中原街道と呼ばれている。ではどこで旧道と新道が分かれているのか地図を見てみると…この案内板を江戸方面へ少し進んでみると日産工機の敷地でルートが消えている。しかしその工場敷地の北東部分を見ると細い道が一本、現在の中原街道に向かって延び、十三塚のある小谷のセブンイレブン前で合流している。これが旧道と新道の追分部分にあたると思われる。このあと旧道は田村の渡しで相模川を渡り、平塚の中原御殿に向かっていた。因みに、律令制時代の東海道はこのあと箱根ではなく山北から御殿場(この御殿場の由来も、家康の為の御殿を作った場所だから。しかし家康はこちらの御殿に関しては使うことなく亡くなっている)と箱根山北麓から三島大社のある三島へと抜けていた。箱根が東海道として開削され利用されるようになるのは、貞観年間の富士の噴火によりこの北麓ルートが火山灰で埋まってしまうから。この貞観噴火により、せの海が一部埋められ西湖と精進湖に分かれることになる。話をこの案内板に戻すと、この看板の反対側は町道にぶつかって失くなる事になるが、そのぶつかった所に頭が欠けた地蔵が一つあり、そのまま駐車場の敷地になる。しかしその駐車場の敷地がちょうどこの中原街道の旧道幅で切れているのが分かる。なので多分、旧道は町道とクロスして田村の渡しの方へ延びていたのではないかなぁ…と推測。でなければ、追分に置かれる地蔵の位置と向きにうまく説明がつかない(と言いつつ後世に位置と向きが変えられたと言われればそれまでではあるんですけどね…)。この旧道は道幅が狭いので、五反田近辺の数車線の中原街道とは違い、徳川家康が通った当時のままの雰囲気を感じることが出来る場所となっています。