西区の伝説、五輪の塔を訪ねて。
御所五郎丸之墓の特徴
御所五郎丸は曾我兄弟の仇討にまつわる伝説的な人物です。
横浜市西区御所山町に位置する貴重な鎌倉時代の史蹟です。
伝承を知ると見逃せない小さな史跡として親しまれています。
西区内の史蹟では数少ない鎌倉時代の謂われをもつもので、まだ祠が無かった頃から何度か参拝していますが、最近とくに石塔の風化や欠損が目立ってきて、とても痛々しい印象を受けます。鎌倉にある有名な源頼朝公の供養塔は、傷んだ石塔の一部がモルタルで補修されているのを見ました。こうした歴史的遺物に対しては賛否あるところですが、これからも末永く残してほしいと願っています。
あくまで「伝」であり、確定ではないそうだ。南アルプス市の方が本当の墓所である可能性がある。(流された伝承があるため)こちらはモニュメントの様な感じなのかもしれない。(居館の跡地というのも考えられる)地名の由来になったということもあり、とても大切にされている。
いわれを知らないと見過ごしてしまう小さな史跡。分かり難い所にある。この辺りは、御所五郎丸が居住していたと伝えられることから「御所山」の地名が残っている。お墓は、御所山町会が維持しており、祠は町民80名による一年掛かりの手作り品。毎年5月5日に御所五郎丸墓前祭を開催している。
地元町内会が大事に保存しているだけのことはありますね。
横浜市西区御所山町にある御所五郎丸の墓と伝えられている五輪の塔。建久4年(1193年)5月28日の富士の巻狩の夜、曽我兄弟が工藤祐経の館に討ち入ろうとした時、兄弟を導き本望を遂げさせたのがこの五郎丸とのことです。
横浜市西区御所山町にある小さな史跡。西区内の町名の多くが機械的に方角や、本町などをくっつけて、例えば、もとは紅梅町や天神町だったのが、西戸部町だの戸部本町だのと味気ないものにしているなか、この御所山町、近隣の伊勢町など、粋でよい名称を残し、その上で、小さくとも史跡をお祀りして祭りもとりおこなって伝統を継承している。すばらしいことだ。ラグビー選手の忍法スタイルで有名な五郎丸 歩さんとは恐らく無関係であろう、と思う。
名前 |
御所五郎丸之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%89%80%E4%BA%94%E9%83%8E%E4%B8%B8 |
評価 |
3.9 |
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御所五郎丸は曾我兄弟の仇討を題材にした歌舞伎や謡曲で有名だが、多分に伝説的な人物。現在の横浜市西区戸部町の領主と伝えるが、文献では確認できない。御所氏の居館があったから、この地を御所山というのか、あるいは御所山の地名に五郎丸の伝説を付会させたに過ぎないのかは、今となっては分からない。墓は火輪部に欠損があり、球形の水輪部がやや大きい。地元の保存会によって大切に管理されている。