500年の楠が魅せるパワースポット。
川原住吉神社の特徴
樹齢約500年の楠が目を引く、見事な自然の造形です。
幹回り5.75mの楠は壮大な存在感を放っています。
狛犬南樟駒が参道を彩り、神社の雰囲気を引き立てています。
樹齢およそ500年の楠木がある‼️500年前と言ったら、室町時代~安土桃山時代😳 ̖́-︎かな隠れた、パワースポットがある神社です!✨
川原住吉神社は、長崎駅の南15.8kmほどの長崎市川原町に鎮座している神社です。正暦5年(994年)川原大蔵大夫高満の勧請により、川原大明神と称して創建されました。康正2年(1456)大家源左衛門大江宗種が再建、今村和泉豊宗を祠官(神官)とし社務をゆだねました。安土・桃山から江戸初期ごろはキリスト教が盛んで、住民のほとんどがその信者となって、神祇(祭礼)をおろそかにし、衰退の一途を辿りました。元和・寛永ごろ(1615~1643年)キリシタン禁制により、肥前藩主・寺沢広高は、当社の復興を認め、今村左近豊次を祠官としました。その時、住吉大明神と改められました。永禄元年(1558年)今村左近豊次は京に上り、神祇官卜部家に唯一神道の極意を受けています。正徳2年(1712年)今村左近豊正もこの社を再び盛り立てたので、同年草創という棟札の記録が残され、それからも今村家が代々相伝しています。文政6年(1823年)9代今村大学守豊高が庄屋の代に社殿を改築しました。この時の年寄が森又左衛門(森家11代)・川原弥兵衛(大江家16代)・高平嘉右衛門で、大工の棟梁は川原の佐藤佐十でした。その後、数次にわたり改修が行われ、現在の社殿は、昭和初期のものです。明治に至り社名を住吉神社に改称しました。鳥居は、昭和17年(1942年)の建立です。拝殿前の狛犬は、昭和30年(1955年)です。御祭神は、表筒男命、中筒男命、底筒男命です。境内社として、八坂神社があります。境内のクスノキ(長崎市指定天然記念物)は、樹齢500年以上で、目通り幹囲5.75m、樹高26m、枝張り南北23.5m、東西26.7mです。神社のある「川原(かわはら)」という地名は、かつてあった西彼杵郡(にしそのぎぐん)川原村に由来します。昭和30年(1955年)川原村、為石村、蚊焼村が合併して三和町が発足しました。平成17年(2005年)三和町・香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・外海町が長崎市に編入しました。住吉神社は、主に住吉三神を祀る神社で、日本全国に約600社あります。大阪市住吉区にある住吉大社が総本社です。海の神である筒男三神と神功皇后を御祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社です。古代には遣唐使船にも祀られる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬されました。
市指定天然記念物に指定された樹齢約500年の幹回り5.75mの楠は素晴らしい。
楠 樟 狛犬南樟駒。
楠 樟 狛犬。
| 名前 |
川原住吉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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【川原住吉神社】川原の集落内にある日当たりの良い神社。境内には八坂神社と市指定天然記念物の樹齢500年以上とされる大楠の神木があります。【御祭神】◯住吉大神(住吉三神)表筒男命、中筒男命、底筒男命綿津見三神、宗像三女神と並んで、昔から人々に信仰される海の神様です。【祭礼日】1月1日・新年初祈祷祭、5月3日・厄入祭、7月31日・夏越祭、9月1日・風鎮祭、9月 日(土)~ 日(日) 秋祭り(川原富日)旧祭礼日・9月28日~29日【境内社】八坂神社(須佐之男命)【由緒】当社の始まりは、六六代一条天皇の時代。正暦5甲午年(994)川原大蔵大夫高満の勧請により、川原大明神と称して創建されました。しかし四百数十年の歳月で社殿等の老朽化著しくなり、康正2丙子年(1456)8月16日、大家源左衛門大江宗種が再建、今村和泉豊宗を祠官(神官)とし社務をゆだねた。ところが安土・桃山から江戸初期ごろはキリスト教が盛んで、住民のほとんどがその信者となって、神祇(祭礼)をおろそかにし、衰退の一途をたどった。しかし元和・寛永ごろ(1615~43)キリシタン禁制により、時の領主寺沢広高は、当社の復興を認め、今村左近豊次を祠官とした。その時、住吉大明神と改められてより先、永禄元戊午年(1558)、左近豊次は京に上り、神祇官卜部家に唯一神道の極意を受けている。その後、正徳2壬辰年(1712)9月、今村左近豊正もこの社を再び盛り立てたので、同年草創という棟札の記録が残され、それからも今村家が代々相伝している。文政6年(1823)第九代今村大学守豊高の代に社殿を改築。この時の庄屋が今村弥五衛門重高(九代)年寄が森又左衛門(森家十一代)川原弥兵衛 (大江家十六代)並びに高平嘉右衛門で、大工の棟梁は川原の佐藤佐十で在った。その後、数次にわたり改修が行われ、現在の社殿は、昭和初期のものである。明治に至り社名を住吉神社に改称。