深堀の丘で歴史感じる。
深堀神社の特徴
深堀神社は小高い丘にあり、眺めが素晴らしいです。
鳥居の柱からは歴史を感じることができます。
祭神には猿田彦命と天鈿女命が祀られています。
この神社は深堀小学校東の小丘上に鎮座しています。入口に、市指定有形文化財の旧幸天宮石神門が一の鳥居として建立されており、石段を上がって行くと途中に二の鳥居。境内入口には、燈明台のような立派な灯篭が建立されており、入口から少し先で、参道は左側に90度折れ曲がり、狛犬が護る入母屋造りの拝殿や、神明造りの本殿は向かって左側に建立されています。又、社殿左右に境内社が沢山祀られています。大きな森の中に鎮座する、静かで落ち着いた神社です。【御祭神】○猿田彦命 導きの神様として、方位除け、五穀豊穣、事業開運、交通安全などの御神徳○天鈿女命(アメノウズメ)芸能の女神として、芸能上達、良縁成就、夫婦和合などの御神徳【祭礼日】○10月17日【境内社】稲荷神社、天満宮、三浦神社、土神、大神宮、粟嶋大明神、正一稲荷大明神、荒人神社他【由緒】創建の時期は不明であるが、上総国に居住していた三浦氏の一族深堀能仲が、承久の変(1221年)の恩賞として肥前国戸八浦(現長崎市戸町付近)の地頭職を受け、建長七(1255)年に当地に下向したときにはすでに鎮座していた。長崎の深堀地区は、諫早とも縁が深い地域、藩政時代に龍造寺に追われた西郷氏からも養子に出ているし、後年は佐賀の属領、深堀鍋島家として栄えたところ。深堀氏は彼杵郡深堀(現長崎市と西彼杵郡の一部)を知行所とする佐賀藩の家臣。家老格。知行高六千石、元来は関東三浦氏の一族で上総国を居所とした。元来社名を幸天社と称したが、明治6年(1873)に現社名に改称した。「長崎県大百科事典」長崎新聞社発行より市指定有形文化財入口に立つ一の明神鳥居(旧幸天宮石神門)この鳥居(石神門)は2代目であり、寛文3年(1663)、21代志摩守茂春が初めて石神門を造建した。その後文政11年(1828)の秋に台風のため、石神門が倒れた。この台風では長崎付近の各地も大きな被害を受けた。天保8年(1837)深堀地区では、農作物が大いに実り復興したので、これはすべて神慮によるものとして、深堀藩の執事、氏子などが奮起して建てたのが現在の鳥居である。(石工 防州徳山住 有田与治右衛門)
R5/11/11、深堀貝塚遺跡資料館を訪問させていただいた時、一緒に散歩させていただきました。由緒正しい正しいお寺と林の荘厳な雰囲気があり、コマイヌさんが可愛かったです。^^資料館側から階段をのぼり、同行者と参拝をさせていただいて、そのまま右奥に抜け、階段を下りてひとまわりして帰ってきました。いい神社ですので、どうかすえながく地域の方に愛されますように・・。(-人-)
祭神は猿田彦命、天鈿女命(アマノウズメ)。
深堀地区の小高い丘の上にある神社です。この辺りでは一番大きな神社です。
癒されます!車は社務所に駐車できますよ。
眺めもいいですよ。
鳥居の柱が歴史を感じさせてくれます。境内は、着物を着た子供たちが、集まって遊んでるような、そんな感じのする神社です。懐かしい感じがあります。ちょっと蚊が多くて、長時間は無理でしたが、良い所だと思います。駐車場がわからず、前の役場に停めさせてもらいました。社務所(ご自宅?)が鳥居の横にあります。そちらに声をかけたら、御朱印、書いていただけました。
由緒ある神社。
| 名前 |
深堀神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
095-871-0990 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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鳥居⛩️に、沢山の文字が書いてあり私的には❓珍しい😳✨ただ道が狭く、駐車場も慣れない人には入口が入りにくく💦軽自動車なら、大丈夫なんだけど☺️微妙に、交通量があり鳥居⛩️から、上に上がる事が出来ず😭近くに、武家屋敷跡や新しい公園もあるけど✨なんせ、車🚗³₃を、停めてくのを躊躇してしまい💦そこそこ交通量があったので⋯車から降りてゆっくり拝観出来ませんでした😭😭😭追記、改めてリベンジ拝観致しました😊✨✨