歴史感じる大聖院の紅葉。
大聖院の特徴
秋の紅葉が美しい、宮島の大聖院で心癒される体験が魅力的です。
仁王門をくぐり坂道を上がると、奥深い自然に囲まれた静かな空間が広がります。
一番高い位置の大師堂までの礼拝は、特別な心の平安をもたらしてくれます。
806年に弘法大師・空海が開基したと伝わる、宮島でも特に歴史を感じるお寺でした。厳島神社の華やかさとはまた違い、大聖院は静かで厳かな空気に包まれていて、石段を歩いているだけでも心が落ち着く感じがします。遍照窟の幻想的な雰囲気や、境内の至る所にある仏像や灯籠も素晴らしく、時間が足りないくらいです。観音堂の地下にある戒壇めぐりは、本尊の真下の漆黒の闇を手探りで進むことで、穢れを祓い心を清める修行の場とされていますが、歩くのには勇気がいりました(笑)閉所や暗所が苦手な方はやめておいた方がいいと思います。宮島に来たら厳島神社だけでなく、ぜひ一緒に訪れてほしい場所です。
厳島神社を参拝したら弥山のふもとにある大本山大聖院もかなり見ごたえのある場所だった。遍照窟には四国八十八か所霊場の砂があり順に踏むとお遍路と同じご利益があるという。
4月末、新緑の季節に訪れました。もみじと苔むす岩の流れるせせらぎの音、赤い頭巾をかぶったお地蔵様に癒されました。厳島神社より人は少なく落ち着いています。大聖院の門から望む厳島神社もすばらしかったです。大聖院の線香(弥山三鬼香)を自分用で購入、崇高な香りでとても気に入ってます。
祝日の8時半頃に訪問しました。祝日とはいえ、この時間帯は意外と観光客が少なく、落ち着いて参拝することができました。宮島にある寺院の中でも最も歴史が深いとされており、趣のある雰囲気が印象的です。境内にはさまざまなお堂や仏像、地蔵が点在しており、見どころが豊富です。中でもニット帽をかぶった地蔵はとてもかわいらしく、思わず目を引きました。また、線香の香りが漂い、心が自然と落ち着く穏やかな時間を過ごせました。
1つだけ願いが叶う場所その言葉を頼りに車を走らせ辿りつきました。階段を登りお堂の前に立つと「1つだけ」という究極の選択に、事前に考えていた願い事すら揺らいでしまいました。独り身の私は、なんとか伉儷が欲しいと、出会いが欲しいと人との繋がりの減った己の半生を取り返すべく、欲たっぷりの願い事を胸の裡で唱えました。何度も唱えました。晴天でした。観光客もそれなりに賑わい、かといって境内は厳かな雰囲気でした。新緑の紅葉、木々の芽吹きがとても心地良かったです。小径には苔むした赤い頭巾のお地蔵様が並んでおられ幻想的な日本古来の風景が続いております。最高でしたわ!なお今も独り身です。
平日15時頃拝観。厳島神社から歩いて10分程度、自然豊かで閑静な山の中にあります。境内は基本登り階段になっています。上に登っていく程、景色が綺麗で最高の眺めが待っています😁五百羅漢庭園には、五百体もの羅漢さんが安直されていて、とても幻想的な雰囲気です‼️中国観音霊場お砂踏み道場には、戒壇巡りがあります。真っ暗の中を、何も(ライト)使わず進んで行きます。自分の精神を試されている様な感じです‼️是非行ってみてください。遍照窟には、四国八十八か所の本尊が安置されたお砂踏み道場があります。八十八体すべてお参りされている方もおられました‼️宮島の寺院の中で、もっとも歴史が深い真言宗御室派の古刹で、空海が806年に開基されたそうです。開門時間は8時~17時。
お盆明けの平日、宮島の旅館に泊まり早朝から厳島神社、大願寺、大聖院とまわりました。前日にフェリーで到着し、旅館にチェックイン後にGoogleで調べて17:00までと書いていたので16:00ごろに大聖院に到着し遍照窟を見に行ったら戸締りされていてしまっていました。そして次の日の朝イチにリベンジ。朝なので人気も少なくゆっくりあちこち回れました。なんだか落ち着く素敵な場所でした。
宮島にて前々から気になっていた大聖院。紅葉も見頃でとても綺麗でした。お参りを終えて降りる頃には、心が洗われたように清々しい気分になり、来れてよかったと改めて思いました🙏🏻また訪れたいです。お地蔵様の帽子がかわいいですね^_^階段が多いですが、よい運動になります🚶🏻♀️
一番高い位置の大師堂まで礼拝してまいりました。上からの景観もとても素晴らしかったです。由緒ある大聖院に訪問できてよかったです。厳島神社だけでなく、大聖院にも足を運んでみることを強くお勧めします。上り坂、階段が続きますので足の弱い方は注意が必要かと思います。ありがとうございました!~下記HPより~宮島にある寺院で最も歴史が深いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山にて修行なされ、西暦806年(大同元年)開基。皇室との関係深く、鳥羽天皇勅命の祈願道場として、また明治天皇行幸の際の宿泊先に、さらには秀吉が茶会を開いたこともある格式高いお寺です。
| 名前 |
大聖院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0829-44-0111 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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多喜山 大聖院(だいしょういん)は、宮島桟橋の南西1.3kmほどの広島県廿日市市宮島町滝町に伽藍を構える真言宗御室派の寺院です。真言宗御室派の大本山であり、厳島神社と一体となって島を支えてきた神仏習合の歴史を色濃く残しています。大同元年(806年)唐での留学を終えて帰国した弘法大師(空海)は、宮島の最高峰である霊峰の弥山(みせん)を仏教の宇宙観に見立てて開山し、100日間に及ぶ「求聞持法(ぐもんじほう)」の厳しい修行を行いました。この時に空海が創設した修験の道場がのちの大聖院の起源とされています。なお、修行の際に焚かれた火は1200年以上経った現在も弥山の霊火堂で「きえずの火」として燃え続けており、広島平和記念公園の「平和の灯」の元火にもなっています。12世紀に入ると、大聖院は朝廷や有力武将からあつい庇護を受けるようになります。鳥羽天皇の勅命によって祈願道場としての本堂が建立され、それ以降も皇室との深い繋がりを持ち続けました。また、平安末期に平清盛が厳島神社を造営してからは、大聖院は厳島神社の「別当寺(べっとうじ)」として、神社の祭祀を司り、島内の社僧を統括する最高位の役職を担うようになりました。宮島の伝統行事である『管絃祭』なども、大聖院の采配によって執り行われてきました。戦国時代から江戸時代にかけては、足利将軍家や豊臣秀吉、毛利氏などから絶大な信仰を集めました。豊臣秀吉は朝鮮出兵の際に、大聖院の「波切(なみきり)不動明王」を心の拠り所(念持仏)として海上安全を祈願し、境内でお茶会を開いた記録も残っています。しかし明治時代に入ると、新政府の神仏分離令によって神道と仏教が強制的に分けられ、別当寺としての役割は終焉を迎え、厳島神社にあった仏像や仏具の多くは大聖院へと移されました。明治18年(1885年)には明治天皇が行幸された際の宿泊所となるなど、変わらぬ格式の高さを誇りました。現在の境内には、厳島神社の本地仏(神の本来の姿とされる仏)であった十一面観世音菩薩を祀る「観音堂」や、秀吉ゆかりの「勅願堂」、弥山の守護神を祀る「摩尼殿(まにでん)」などがあり、多種多様な信仰の歴史が共存しています。宮島の歴史そのものを体現する聖地として、今も国内外から多くの参拝者が訪れています。真言宗(しんごんしゅう)は、平安時代初期に空海(弘法大師)が中国(唐)から日本へ伝えた正統な密教の宗派です。その教えの中心は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」にあります。これは、厳しい修行を通じて、誰もがこの身のままで現世において究極の悟りを開き、仏(密教の最高仏である大日如来)と一体になれるという思想です。この目的を果たすため、身体の動作(身)、言葉(口)、心(意)の3つの働きを仏と一致させる「三密(さんみつ)の修行」を重視します。主な経典には『大日経』や『金剛頂経』のほか、『般若心経』や『理趣経』が親しまれています。総本山である高野山(和歌山県)をはじめ、東寺(京都府)などが信仰の拠点であり、全国に多くの大本山や派(高野山真言宗・智山派・豊山派など)が存在します。お唱えする言葉(御宝号)は「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」であり、現代でも四国八十八ヶ所を巡るお遍路(遍路)の文化など、庶民の信仰として深く根付いています。真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)は、仁和4年(888年)宇多天皇によって京都に仁和寺が創建されたのが始まりです。天皇が退位後に出家してこの寺に住まわれた(御室に入られた)ことから、仁和寺は「御室御所」とも呼ばれ、皇室と深い関わりを持つ門跡寺院の筆頭として発展しました。