不屈の英雄、鹿之助の足跡。
山中鹿之助首塚の特徴
山中鹿之助首塚は歴史を感じられる場所です。
不屈の男・山中鹿之助の偉業を称えるスポット。
鞆城から送られた首実検の歴史が息づいています。
鞆の町をぶらぶら散策してて見つけました。こんな所に有名武将の首塚があるとは思いませんでした。
道路のかたちがクランクが多く、城下街のようです。
山中鹿之介首塚、島根県人・戦前の人なら七難八苦不屈の闘将月山富田城・上月城と来て此処に辿り着け感無量ですが東京から福山駅往復3万片道4時間、更に福山駅から13km今回は足利義昭平通盛小宰相平教経史跡をレンタサイクルで回り休憩中、子作りの為先ず足から鍛錬ですが普通にバスかレンタカーをお勧めします…
足利義昭が鞆にいて、首実検を行ったので山中鹿之助の首塚がここにあるのですね。なるほどです。
山中幸盛は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将で、尼子氏の家臣です。美男子であったと言われ「鹿の角の兜」がトレードマークだったことから山中鹿之助の名でよく知られています。尼子三傑の1人。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取っています。
2012/11/18来訪。山中鹿介は、毛利氏に滅ぼされた尼子十勇士の1人です。高梁川の阿井の渡で討たれた鹿介の首は鞆城に送られ、鞆にいた室町幕府最後の将軍・足利義明が首実験したと伝えられています。福山観光コンベンション協会より。
山中鹿之助は昔は誰もが知っているビッグネームだった。今の若い人は戦国時代ファンでもない限り、ほとんど知らないだろう。鹿之助は尼子氏の重臣で、尼子氏が毛利氏に滅ぼされると、その再興のために明智光秀や豊臣秀吉に属して奔走したが、最後は毛利氏に敗れて処刑された。首実検の後、その首がこの地に送られ埋葬されたと伝えられる。江戸時代最大の豪商鴻池家は鹿之助の子孫と称しているが、あくまで家伝で、それを裏付ける一級史料は存在しない。
ツアーで来てたのですが…ここに首塚があったのかー!!(✪▽✪)と、抜けて参る事ができました!!祖父の名前も山中鹿之助からつけられたそーです!
尼子氏再興のため毛利氏と戦い敗れた山中鹿之助の首が、鞆城に送られ足利義昭の首実検を受けた後にこの近くに埋葬されたそうです。ここじゃないんですね…
| 名前 |
山中鹿之助首塚 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.fukuyama-kanko.com/travel/tourist/detail.php?id=27 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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尼子家再興のために文字通り命を賭した武将。コーエイの信長の野望で山中鹿之助を知ったクチですが、たまたまこちらに葬られていると知り、訪れました。我に七難八苦を与え給え、とは山中鹿之助の言葉。今風に訳せば『自らの夢のためならば、どのような苦も耐える』という言葉らしいですが、同じ男として本当に憧れます。そのような男になれればいいな、いや、なっていかなくては!と身が引き締まる思いがしました。