幡随院長兵衛の故郷、唐津の魅力。
幡随院長兵衞記念碑の特徴
有名な幡随院長兵衛の出身地として魅力的です。
唐津の歴史を感じることができる場所です。
記念碑が静かに佇む、落ち着いた空間です。
あの有名な幡随院長兵衛が唐津の出身とは知りませんでした。駐車場は駅のある辺り、線路をまたいだ公園側にあります。一応「公園駐車場」とは書いてましたが、ぱっと見、住宅の駐車場かなと思いました。
幡随院長兵衛が産まれたのが相知町久保地区。記念碑は昭和5年に完成、除幕式は昭和14年11月角界史に不朽の名を残す大横綱双葉山が除幕の網を引いて行われました。総高15m、棹石 高さ3.6m重さ18t、七山村狩川より運搬台石の高さ2.1m、重さ48t題字は、唐津藩主の正続を受継ぐ子爵 小笠原長生公によるものです。
| 名前 |
幡随院長兵衞記念碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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シルバー世代には時代劇・映画でお馴染み、江戸の侠客。男の中の男、と持て囃された方ですね。実は、波多氏(松浦水軍の末裔)の遺臣の子なんですね。記念碑の発起人には、あの頭山満が名を連ね、碑文の揮毫は唐津藩主の直系の末裔である、子爵小笠原長生公。そして昭和5年の除幕式で除幕の綱を引いたのは、大横綱・双葉山であったそうです。近くの肥前久保駅は、長兵衛にあやかったかどうかは分かりませんが、その昔「幡随院」駅と名付けられていたそうです。「幡随院」とは此地の名ではなく、江戸にあった寺院の名称なので、やはりあやかってますね。しかし、「幡随院」という駅名は、昭和10-12年の間のわずか2年半の短命に終わったとか。反社の人物を駅名に冠するなど、けしからん!という声が上がった為という話があります・・・