桜舞う松浦橋で、伝説の岩を訪ねて。
佐用姫岩の特徴
松浦川河口近く、風光明媚な場所で桜が華やかです。
佐用姫の伝説を感じる、圧倒的な存在感の大きな岩。
整備された遊歩道があり、のんびり過ごすのに最適です。
眺めもよく水鳥がたくさんいる風光明媚な場所。きっと夜はもっと絶景なんだろう。但し頂上まで登れるわけではないのでそこを期待するとやや肩透かしを食らうことになるだろう。
場所は良いが池は汚く整備もなって無い、観光地として集客するならば綺麗にした方良い。
分かりづらい場所ではありますが、ナビでちゃんと到着出来ました。1人で行きましたが、日曜の夕暮れ前、近所の子?達が岩の頂上付近で戯れてました。懐かしい感じ…٩(ˊᗜˋ*)ノスタルジックで、大変いい景色を見られました。
唐津の松浦川河口近くにある「天然の」庭園。遠く出征する恋人を見送っては悲しみのあまりに石になってしまった松浦佐用姫の伝説の場所である。この「望夫石」説話が南朝劉宋の皇族劉義慶の著作『幽明録』に採録されてあり、香港沙田の「望夫石」もこの佐用姫岩とその伝説内容が重なるため「同様の伝播が曽て香港と日本に及んでいたことが窺えよう」と香港を解説した書籍にあっては仰天。しかし、香港の原住民である百越を含む越が呉を下し(紀元前473年)ては山東半島に近い琅琊(江蘇省連雲港市)まで領したとあり、刺青を入れる海洋民族であった越が山東半島から黄海を渡り、朝鮮半島を経由して緑豊かな日本まで来たと考えるのもおかしくはない(「越」の糸魚川で産出する翡翠は珍重されたであろう)。倭の五王が南朝にしか使節を派遣していないのは、北朝が劉宋を「島夷」呼ばわりしたように「縁とゆかり」があったのかもしれない。呉王闔閭の墓所である蘇州の虎丘、越王勾践の霊廟?である紹興の越王台も実は「磐座」ではないかとうすうす疑っていたが、そんな遥か南方との交流を想像するのは何と言っても勝手気ままで楽しい。そしてここのまるで研磨したかのように丸い石からなる聖地は、その夏の午後にあって何も語らないとはいえ、岩の立てかた、寝かせ方を見ては例えば俵屋宗達の関屋・澪標図屏風にあるような日本の「庭園」と言われて違和感を覚えない感性を思うにつけ、日本の美意識の源流の1つではないかと思ったりする。
とても大きな岩が圧倒的存在感です!!川の側には桜の木もあるので、春が楽しみです。
桜の季節で、周りの桜が綺麗でした。佐用姫岩は、とても不思議なカタチの石でした。
鏡山から飛んだ佐用姫の一歩目の足跡が、この佐用姫岩だと言われています。そういう、昔ながらの言い伝えを堪能する場所です。
休憩のイスもテーブルも綺麗でした。
佐用姫岩と言う大きな岩がありました。その場所に行くには、池の中に掛かっている橋(木で出来た廊下みたいな物)を通って行きます。
名前 |
佐用姫岩 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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夏草がしげつていたので運動靴がいいです後の写真は松浦橋から見える岩場で佐用姫岩ではありませんが松浦橋の街灯にひとつ間隔で鳥が川の魚の監視をしていました。