安産祈願 西ノ原大明神へ。
西ノ原大明神の特徴
山の中に位置する立派な神社であり、安産祈願や厄払いに最適です。
雪の日は行くのが不便なものの、多くの人々が訪れる場所です。
お寺の和尚さんの渋い声が印象的で、心温まる体験ができました。
幻想的な雰囲気で、爽やかな風が吹き抜ける神秘的な場所です。
ここはおにとても良いお寺出そうで、御朱印もいただけました。
山の中に有るなかなか立派な神社。
孫の日晴れのお宮参りで行きました。ちょうど、桜が満開でとても綺麗でした。
雪の日は、行くのに不便だが、安産祈願、厄払いに👍和尚さんの渋い声も👍
お寺でした(*^^*)
お産の神様です。安産祈願をお願いすると丁寧に対応をしてくれました。夏にお寺主催で子供向けのイベントを開催したり、地元の子供達による夜のお祭りをしたりしています。静かで少しなら散策もできます。
お産の神様です。安産祈願をお願いすると丁寧に対応をしてくれました。夏にお寺主催で子供向けのイベントを開催したり、地元の子供達による夜のお祭りをしたりしています。静かで少しなら散策もできます。
| 名前 |
西ノ原大明神 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0952-74-2638 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
西ノ原大明神は、JR多久駅の南4.9kmほどの多久市多久町西の原に鎮座している神社です。多久7代藩主 多久茂堯(たくしげたか)の長女の林姫(養心院)が祀られています。明和3年(1766年)19歳の林姫は、家臣である相浦善左衛門と許されぬ恋に落ちてしまい、身籠り、自害を余儀なくされます。のちに善左衛門も林姫の後を追い、自害してしまいました。以後、多久家には凶事が続きました。天保8年(1837年)10代 多久茂澄は日護上人を京都から招き祈祷を行い、法華経を1文字ずつ石に墨書きした「一字一石経」とともに林姫の遺骨を供養し、大明神を勧請しました。愛する人、身ごもった子と共に、この世を去らなければならなかった林姫は、「安産守護」の神様となりました。神仏習合の名残で、等覚寺(日蓮宗)と並んでいます。昭和30年(1955年)堂宇を改修中に地下30cmのところから、一字一石経、外甕、蓋石、台石、蔵骨器が出土しました。蓋石の内側に林姫の遺骨を祀ったことが刻まれ、台石には日蓮宗の祈祷法に則った咒文(まじないぶん)が墨書きされていました。中には火葬された頭骨や大腿骨などの一部が納められています。由緒が明らかで、保存も良好な資料として、佐賀県内で最も価値の高い一字一石経の一つであると記されています。神社のある「西の原(にしのはる)」地区は、かつて炭鉱で栄えた歴史を持つ地域です。江戸時代中期から採掘が始まり、200年以上の歴史を持つ多久炭鉱は、多久市の主要な産業として発展しました。しかし、エネルギー政策の転換により、昭和47年(1972年)に多久炭鉱が閉山しました。西の原には、「多久炭鉱」の歴史を伝える多くの痕跡が残されています。神社がある「多久(たく)」という地名は、かつてあった肥前佐賀藩の小城郡(おぎぐん)多久村に由来します。昭和29年(1954年)多久村・東多久村・南多久村・北多久町・西多久村の合併により、多久市が発足しました。多久(たく)という地名は、平安時代初期(713 年)に編纂された「肥前国風土記」に登場する「高来 (たく)駅」に由来します。当時、主要な所を結ぶ官道には中継地として「駅」が置かれていました。九州の政治の中心であった太宰府から各地に伸びた官道にも駅が作られ馬などが常時置かれていました。また、平安時代に編纂された日本最古の百科事典と言われる「和名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)に現在の多久の地名のことが出てきます。そこには『小城郡高來(多久)あり、名義は古に栲木の多き處などにて負せたくるべし』とあります。この中には、「高來東郷」、「高來西郷」とあり、当時の「高來郷」には2つの郷があったものと思われます。「栲」は「たえ」と読み、人名では「たく」と読みます。「栲」はクワ科のカジノキの樹皮をはぎ、その繊維で織った布「白栲の衣」のことで、古代の多久は、カジノキやヒメコウゾが繁茂し、白栲の衣の産地であったと思われます。