高砂城趾碑で歴史散策を!
高砂城跡の特徴
高砂神社境内に位置する歴史的な高砂城跡の碑です。
嘉吉の乱に関わった杉岡蔵人にちなむ城の歴史が感じられます。
一国一城の令によって破棄されたという説明板があります。
石碑有り。築地の基礎の石は城の石垣だとか。
一国一城の令で破棄された、と説明板に書いてありました。高砂神社のこの辺りにあったのでしょうか。
高砂城の築城時期は不明だが、嘉吉の乱において高砂城主の杉岡蔵人が赤松満祐のもとに馳せ参じたとされている。三木城攻防戦の際には高砂城主梶原氏が別所・毛利方につき、この高砂から三木に二万の大軍と兵糧を陸揚げしようとの計画もされていたようだが、敗戦により実現しなかった。その後高砂城はしばらく使用されていなかったようだが、池田輝政の家臣中村主殿助によって、復興・拡充が図られ、運河も開かれるなど城下町づくりが進んだ。その後高砂は本多姫路藩の領地となり、元和年間には一国一城令により廃され、城跡には牛頭天王(高砂神社)が遷座された。
城跡碑と説明板のみ。遺構は特に見当たらない。石の一部は石垣の石を転用してるのかも、だが仔細は不明。
名前 |
高砂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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高砂神社境内にある、高砂城趾の碑。