南北朝時代の切腹の地、石塔の供養。
石造宝篋印塔(見土呂の宝篋印塔)の特徴
南北朝時代に設置された歴史深い石造物です。
武士が切腹した場所に祀られた特別な石塔です。
拝礼供養で極楽浄土へ行けるとされる神聖なスポットです。
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田園地帯の一画にポツンとある繁みに祀られている南北朝時代の石造物です武士が切腹した場所に建てられたとの伝承があります。
名前 |
石造宝篋印塔(見土呂の宝篋印塔) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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拝礼供養すると、極楽浄土へ行けると説かれた石塔ですが、この場所においては南北朝時代の設置当初は拝礼供養用で後に供養塔・墓塔の意味合いが強くなったと思われます。説明板があるので読むと戦国時代に城山から落ち延びてきた武士が切腹した場所との伝承があるようで、調べてみると城山「中道子山城跡(志方の城山)」が羽柴秀吉軍に攻められ落城したとされており、その時の落武者とも思えますが、その時期の城の遺物は見つかっていないらしく、どこまでが本当かは不明です。個人的には「見登呂姫の石仏」という史跡・伝承があり、それに絡んだ武士が逃げることが出来ず石塔の切腹した・・罪を償い生まれ変わるために・・の方がしっくりきますが、この場所に石塔が存在していることが唯一の真実のようです。車で訪れる場合すぐ近くまで寄ることは可能ですが路駐になりますので、注意してください。多少の時間はかかりますが、見土呂農村公園に駐車して、見登呂姫の石仏とセットで立寄るのもお勧めです。