入間市指定の文化財の墓石。
旗本土屋一族の墓の特徴
旗本として徳川氏に仕えた土屋氏の墓石が集まっています。
入間市指定の有形文化財として貴重な史跡です。
多彩な歴代の名が刻まれた歴史を感じる場所です。
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入間市指定の有形文化財(史跡)です。
名前 |
旗本土屋一族の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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これらの墓石は、旗本として徳川氏に仕えた土屋氏一族(向かって左から六代利殻、十代利薄、二代利次、七代利直、付墓石\u003d家来、九代利懐、初代利常、八代利族、三代利勝、四代利意、五代利起)のものである。土屋氏は、利常が初代旗本に登用され、寛永二年(一六二五)に中野村(現入間市宮寺)の一八七石を初めとする五七〇石余りの領地を拝領した。利常は、没後二本木の地福寺(現在廃寺)に葬られたが、後に長久寺(この場所)に移葬されている。二代利次は、中野村北部の土屋新田(現宮寺北中野)を開墾し、その一角に正保二年(一六四五)浄悦山長久寺を建立して、土屋氏の菩提寺と定めた。なお、利次の次男成勝が出家して、長久寺の第一世住職栄俊となっている。また、利次は、寛文四年(一六六四)に奈良奉行となって、大和国平群郡額田部村(現奈良県大和郡山市)に五〇〇石の知行地を加増されるとともに、額田部村森川重左衛門より馬鳴大士像を寄進され、これを長久寺に奉納している。現在も馬鳴大士の祭りが毎年四月下旬に行われている。これら墓石は、当地の近世旗本の支配の様子を知る上で貴重な文化財である。