歴史を感じる人吉城の眺め。
人吉城跡の特徴
九州を代表する名城に訪れると、圧倒される立派な石垣が迎えてくれる。
球磨川の南側にあり、天然の堀を活かした平山城跡の魅力は散策に最適です。
人吉城跡は、熊本県人吉市にある歴史的な城跡で、球磨地方を治めた相良氏の居城として約700年にわたり存在した名城です。球磨川沿いの小高い丘に築かれており、現在は石垣や堀、門跡などが残る歴史公園として整備されています。日本百名城の一つにも選ばれており、人吉を代表する観光スポットとして人気があります。城跡には美しく積まれた石垣が今も残っており、当時の城の規模や防御の工夫を感じることができます。特に球磨川を望む景観は素晴らしく、自然と歴史が調和した落ち着いた雰囲気が魅力です。また、復元された長塀や門周辺では、往時の城下町の面影を感じながら散策を楽しめます。春には桜の名所としても知られ、多くの花見客が訪れます。新緑や紅葉の季節も美しく、四季折々で異なる表情を見せてくれるのも魅力の一つです。歴史好きはもちろん、ゆったりと散歩を楽しみたい人にもおすすめの場所です。人吉温泉や球磨焼酎と合わせて訪れることで、人吉の歴史と文化をより深く感じられるスポットとなっています。
鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良家の中心だった中世城趾で、日本百名城のひとつ。球磨川と胸川を天然の堀としてつくられており、城跡全域が国の史跡になっています。相良氏が城の修築をしている際、三日月の文様の石が出土したため、別名“繊月城”とも呼ばれています。二の丸、三の丸からは人吉市街地が一望でき、春は桜の名所として多くの花見客で賑わいます。
人吉城(熊本県人吉市麓町)平頼盛の代官矢瀬主馬助が人吉城に在城。建久9年(1198)相良(さがら)長頼が頼朝の命で人吉に下向。矢瀬主馬助を滅ぼして入城。相良氏の遠祖は藤原鎌足の長子武智麻呂といわれ遠江国相良荘に住して相良氏を称した。天正9年(1581)島津氏が相良氏を降ろし18代相良義陽(よしひ)が響ヶ原の戦いで討ち死にすると八代郡を割譲され球磨郡人吉のみとなり相良氏は本拠としていた八代古麓城から人吉城へ。別称、繊月城のいわれは初代長頼が人吉城入城祝宴後の城修築で三日月の文様を現わした奇石が発見されたことによる。今も年に一度の三日月詣で奇石、三日月石が鑑賞できるようです。2021年訪城。主郭西側ふるさと歴史広場の無料駐車場利用。御館跡庭園、水ノ手門、於津賀社、三の丸、二の丸、本丸、御下門などを巡りました。雨天のせいなのか相良氏築城800年の歴史、幽玄さを感じられる石垣、城跡よかった。
戦国時代から明治までずっと相良氏が治めていた城です。場内に相良神社、相良護国神社があります。車は人吉市観光無料駐車場へ駐車しました。人吉城歴史館も近く攻城するにも便利です。歴史館は小さいながらも展示が充実しており勉強になります。なかでも地下室は必見です。何に使用されていたかは不明のようですが、何か意味のあるものだと感じました。御下門→三の丸→二の丸→本丸と攻城しましたが、城址はよく整備されており散策しやすいです。
2026年5月6日2度目の訪問夏目友人帳の聖地です。この近辺も2年前のお正月から少し変わったようです。前は工事をしていたような。ゆっくりお散歩、ゆっくり川を見るのにいいところです。駐車場は城壁から道路を挟んだ芝生の周りにちらほらありました。
人吉城は日本百名城に認定されており、国の史跡に指定されている。江戸時代には人吉藩(2.2万石)の藩庁であった。人吉城は球磨川と支流胸川の合流点に築かれた平山城である。本丸、二の丸、二の丸三の丸は山上にあり麓には藩主の住む御館や家臣団の武家屋敷があった。山上の本丸に天守は元々存在しなかったが、二の丸に二の丸御殿が建っていた。人吉城は城址として残っている範囲も広く、見学しがいがある。建造物は残っていないが、多聞櫓と隅櫓が木造復元されている。石垣が状態良く残っているため城址としての雰囲気がある。人吉の地は鎌倉時代から明治維新まで約670年の長きに渡り一貫して相良氏が治めていた。このような事例は島津氏(薩摩)、相馬氏(陸奥)、朽木氏(近江)、宗氏(対馬)など数えるほどしかない。人吉城も相馬氏によって築かれた。現在の人吉城の背後の山に支城群が築かれ、相当範囲は広かったようである。安土桃山時代に大幅な改修を受け、石垣造りの近世城郭となった。
相良長頼は遠江国相良荘から源頼朝の命を受けて薩摩国へ下向し建久四年に矢瀬氏を滅ぼして人吉城の基礎を築いた相良氏の実質的な初代であり、その入国の際には「石を投げれば金が出る」と称された球磨の豊かな土地を掌握するために土着勢力との激しい抗争を勝ち抜いた歴史的背景を持っています!長頼は当初は多良木などを拠点としていましたが次第に人吉盆地全域を統治する軍事的なネットワークを構築し、人吉城を単なる居館ではなく球磨川の急流を天然の要塞として利用する戦略的な拠点へと作り替えることで、その後の七百年にわたる相良氏統治の強固な礎を確立しました!戦国時代に入ると相良氏は島津氏や大友氏といった強大な勢力に挟まれながらも長頼以来の不屈の精神を継承し、人吉城を幾度も改修しながら独立を維持し続け、豊臣秀吉の九州平定時にはいち早く時流を読み解くことで本領安堵を勝ち取るという外交的勝利を収めました!江戸時代に完成した人吉城の最大の特徴である「武者返し」の石垣は幕末の火災対策を兼ねた最新鋭の防御構造であり、長頼が築いた中世の山城が近世の城郭へと進化を遂げた象徴的な遺構として、今も球磨川のほとりにその威容を誇っています! 長頼から続く相良氏の歴史は人吉城の石垣一つひとつに刻まれており、一族が一度も国替えをされることなくこの地を守り抜いたという事実は、日本の封建史においても極めて特筆すべき奇跡的な事例として高く評価されています!
川沿いにある城趾建物は残っていないが見事な城壁に感動した。一部武者返しなども残ってました。川沿いのお城は初めて見ましたが、なんか良かった。横の屋敷跡には大井戸遺構なるものも残存しており、興味深く見学させてもらいました。次は矢代城趾へ。
正月に九州旅行で立ち寄りました。城跡あり、武者返しあり、神社あり、道路を挟んで駐車場あり、トイレあり、広場あり、なんなら温泉や洋食屋もありと、1日ゆっくり過ごすのもいいのかも。歩いていて気持ちのいいところなので、お弁当を用意してここで食べるのも良さそうです。
| 名前 |
人吉城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0966-22-2324 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.hitoyoshikuma-bunkazai.com/detail/hitoyoshi-castle-ruins/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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お城にそれほど興味があるわけではないが人吉の球磨川沿いの宿に宿泊したので翌朝早朝、散歩がてら、橋を渡って、人吉城跡に行きました。行ってみると、城はないものの、貴重な石垣とかが残っており、これは見応えあるなと思い、予定時間をオーバーしてひと通り見てまわりました。きれいに整備されており素晴らしいと思います。