才園古墳群で歴史を感じる。
才園古墳の特徴
才園古墳群には現在2基の円古墳が残り、歴史的価値があります。
昭和13年に発掘された鎏金獣帯鏡は、重要文化財として評価されています。
あさぎり町に住んでいる人でも、未訪問の魅力が詰まった史跡です。
ご当地RPGあさぎりクエストのGPSチェックインのために訪れました。くま川鉄道の踏切を越えて丘を上ったところにあります。一見すると民家の庭先のような場所なので駐車していいのか迷いました。解説板が建っているので歴史経緯などはわかりやすいと思います。
鍍金鏡や金銅装馬具が発見されています。人吉盆地の有力者と大和政権の密接な関係を示唆しています。※写真は熊本博物館より。
地域の皆様方が管理をされ大切にされています。
免田才園古墳かつて「才園の四つ塚」と呼ばれた4基の古墳があったと言われているが、現在残るのは1号・2号の2基のみ。このうち2号墳が「才園古墳」と呼ばれている。昭和13年2月、公会堂建設工事の折、2号墳の石室を掘り当て、そこから刀剣、玉、馬具類、鏡など数多くの遺物が出土した。そのうち「リュウ(龍の下に金を書いた文字)金獣帯鏡」は、直径11.6cm白銅鏡の背面全体に分厚く金が鍍金され、今なお金色に輝いている。そこから刀剣、玉、馬具類、鏡など数多くの遺物が出土した。現在、2号墳は、南西を主軸に築いた小規模な横穴式石室で、石室が完全に露出している。石材は阿蘇溶結凝灰岩の自然石と切石が併用されており、周壁は各一枚の巨石を立て巡らし、羨門部は2枚の切石で両袖石を構成し、外側より扉石で塞げるようになっている。築造されたのは6世紀後半(西暦550〜590くらいか)。「りゅう金獣帯鏡」など古墳からの出土品は、「肥後国球磨郡免田才園古墳出土品」として国の重要文化財に指定されており、熊本博物館で展示されている。また、古墳は県史跡に指定されている。ここ九州南部地域は古くから中国南部(呉)や百済と強いつながりを持っていた地域です。縄文後期〜弥生期〜古墳期にかけた「貝の道(ゴボウラ貝のアクセサリー等)」を通じた海の交易ルートや、相良村から五木村にかけた交易ルートが古代期より確立しており、クジラの背骨を使った土器等が五木村から出土している事からも明らかです。■古墳時代3世紀終わりから7世紀前半の約400年間を古墳時代といい、高塚式の小山のような墓が全国的に造られました。古墳は、外形より、前方後円墳、円墳、方墳など様々なものがあり、大きさも天皇陵などの大きなものから地方豪族のちいさなものまで様々です。しかし、人吉球磨地方では、この地方独特の墓制(地下式板石積石室墓)等が強く受け継がれたため、高塚式古墳の造営が遅れました。この地方独特の墓制の1つである地下式板石積石室墓は、人吉市下原田町の荒毛遺跡が有名です。最近、地中レーダー探査による調査が行われ、荒毛遺跡には、約150基の地下式石積石室墓があることが判明しました。また、人吉市七地町の天道ヶ尾遺跡からは、6世紀の地下式横穴墓が2基発見されています。これらの事から、人吉球磨地方は、隣の鹿児島県川内川上流域の古墳文化と同じ、地下式石積石室墓と地下式横穴墓が混じりあう古墳文化をヶ伊勢さしていたことがわかります。人吉における高塚式古墳の造営は、5世紀中頃、人吉盆地の中央部を中心に行われます。3基の前方後円墳からなる錦町・亀塚古墳群は、人吉盆地で唯一の前方後円墳が造られている場所で、宇土市、城南町、八代市などで見られた前方後円墳の影響が見られます。そのほか、鎏金獣帯鏡帯鏡をはじめとする多くの副葬品を出土したあさぎり町・才園古墳群2号墳(円墳)や、巨大な石を使った横穴式石室のあさぎり町・鬼ノ釜古墳(円墳)などがあります。これにもとづいて、九州の有明海周辺の海の豪族『火の君』は、人吉市方面との交易を通じて熊曾の地に進出していく事になります。当時、中国六朝時代(西暦300〜600)の鎏金獣帯鏡帯鏡が発掘されたことは、当時の中華王朝との交易があった有明海沿岸地域を支配した海の豪族「火国」との関係性が必須だからです。交流ルートとしては、弥生海退※より稲穂の制作地として徐々に豊かになりつつあった水俣〜伊佐〜人吉ルートが濃厚で、火の国との交易、交流の推定中心地としては、古墳時代に有力な古墳が造られ、銅板墓誌が発見された黒田遺跡、古瓦が発見された前田遺跡などがあるあさぎり町免田周辺が考えられます。※約 3〜2 千年前に海水が現在のレベルより約 2〜3m 程度低下したとされる現象です。つまり、昔の海は現在よりも高かったのです。それが徐々に海が引いていき陸地になっていったと。西暦645年、中央の朝廷における最大の権力者であった蘇我氏が中大兄皇子らによって滅ぼされ、初めて公式に年号をた「大化」と変え肥前と肥後の2国に分けられ「大化の改新」までこの影響は続いたと思われます。出土品①りゅう金獣帯鏡この鏡は、昭和13年2月14日、才園古墳群の第2号墳より出土したもので、 白銅鏡の背面全体に分厚く金が鍍金され、 今なお 金色燦然と輝いている。 直径11.65cm厚さ0.36cm・鏡の反り4.5mmを有する凸面鏡である。外区の平縁をなす外縁には、 細かな均整唐文をめぐらし、 その内側には、細かい珠文帯で区画した銘帯があり、 32文字が鋳出されている。 内区との境は、 内傾する線文帯で区切り、 その内側には12の半円帯と方形帯を配し、半円はおのおの鋸歯文で囲み、 表に5個単位の渦文をあ らわし、方形にはそれぞれ一字ずつ12文字を配している。外区銘文 =『吾作明竟幽凍三商彫刻典祀』『大吉羊宣候王家富昌』『師百牙作楽神見容其師命長』内区銘文 =『吾作明竟幽凍三商彫刻典祀』意味:私は、明鏡をお持ちいただく方の大吉祥を願い、神様に捧げるために夜を徹して作りました。 百牙は楽器 を奏で、諸々の神々は喜ばれます。 お家万歳です。』製作地・製作時期 = 中国の江南地方で製作されたものであり、 それも紹興あたりで作られた可能性が高い。 その理由として、この地方は銅鉱石・鉱石が多く採掘され、 青銅文化と共に鋳造技術が進んでいたこと。製作時期は3世紀までさかのぼる。 この時代は、日本では弥生時代の末期、つまり耶馬台国と狗奴国の対立時代であり、この鏡の所有者と呉の国との 交流による舶載鏡である可能性が極めて高いとされる。 昭和33年2月8日、 国の重要文化財に指定され、現在は 熊本市博物館に出陣中である。馬具類・刀剣・金環昭和13年2月14日、 りゅう金獣帯鏡と共に才園墳群の第2号墳より出土したもので、 昭和33年2月8日、これら出土品は一括 して国の重要文化財に指定され、現在は熊本市博物館に出陣中である。
この辺りは「才園古墳群」と呼ばれ、4基の古墳があったといわれていますが、現在2基が残っています。そのうち、石室が露出しているのがこの2号墳です。古墳は史跡公園となっているものの、集落のど真ん中にあるので駐車できるスペースはありません。おかどめ幸福駅から徒歩10分ですので、駅に駐車して見学するのが良いと思います。
昭和13年に2つの円古墳の1つに鎏金獣帯鏡が発掘されてます勿論国指定重要文化財。日本では3枚しかなく極めて異例。その所有者も大変な実権者だとされる…此処が3世紀に邪馬台国と狗奴国との因果関係が有る事の証。土地の気質もさほどではありません出来ません。
ずっとあさぎり町に住んでるけど、才園古墳って初めて行った。日本で3個しか発掘されていない、りゅう金神獣鏡が発掘された貴重な場所です。
| 名前 |
才園古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
〒868-0415 熊本県球磨郡あさぎり町免田西1248−1 |
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相良氏以前の球磨地方を感じることができる古墳てす。この後に熊本博物館へ行くことをオススメします。