散策に最適!
箕輪城 本丸跡の特徴
散策やお散歩にぴったりの自然あふれる場所です。
深さと幅が印象的な空堀が多く見どころです。
国指定史跡として美しく整備された貴重なスポットです。
キャンピングカーで、道の駅まえばし赤城へ車中泊しに行った際、少し脚を延ばして日本百名城のひとつである箕輪城跡に行ってきました広い原っぱになっていましたが、どの様なお城が建っていたのか、思いを馳せてきました。
搦手口から本丸までがとても短く感じられました。土塁で周辺が囲まれていて少し低くなっていました。何かイベントごとがあったようで何かしらの会場が設営されていた跡がありました。箕輪城は戦国時代の中期に長野氏によって築城されたと言われています。戦国時代に上野の国には関東管領山之内上杉家が存在していました。上杉憲政が越後へ逃亡してからは北条氏康・武田信玄・上杉政虎が侵攻を繰り返す地となりました。このような状況の中で長野氏は箕輪衆呼ばれる武士団をまとめ上げ、全盛期を築き上げました。武田信玄は西上野へ侵攻をすると調略により周辺の城を落城させ、1566に武田信玄の総攻撃によって落城してしまいました。その後武田信玄は上野を攻めるための拠点としました。武田氏が滅亡すると織田家家臣である滝沢一益が箕輪城を摂取しました。本能寺の変の後には北条氏康・北条氏直親子が大軍で上野国へ侵攻、神流川の戦いで滝沢一益が破れると北条氏邦が箕輪城へ入城しました。小田原征伐の時には前田利家・上杉景勝により開城しました。この年に徳川家康が関東へ入封し、12万石をもって井伊直政に箕輪城が与えられました。直政は箕輪城を近代城郭に改修し、城下町の整備などをおこないましたが1998年に直政が高崎城へ移封されたことをきっかけに箕輪城は廃城となりました。
高崎城の支城なのかな?とても気持ちの良い場所。素敵な山城。
かなり広いスペースです、整備もされていました。
碑と原っぱの場所。
本丸跡地、、、広いですサッカー場くらいの広さですかね本丸までは歩いて10分ほどです。
散歩や散策にはちょうどいいと思います。
お散歩には最適なコースです城跡というより公園を散歩する感覚で歩けます。
凄まじい深さと幅の空堀が多くめぐらされた堅城国指定史跡だけあってキレイに整備されているし、駐車場も広い素晴らしぃ♪(๑╹◡╹๑)ノ
名前 |
箕輪城 本丸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-371-5111 |
住所 |
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HP |
http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/minowazyoushi.html |
評価 |
4.0 |
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二の丸に不思議なトイレがありました。何というか花子さんが居そうな。でもトイレと仲良しな私は気にせずに入りましたけどね。